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 ピケティの翻訳書は買わずに立ち読め

正月休みから仕事初めへとソフトランディングできず、ひたすら眠い一週間だった。やっとの三連休にほっとしている。


さて、ピケティがNHKのニュースで取り上げられるほど人気だ。大きな本屋でも平積みだ。
社会の富は上位1割の人間に常に独占されていて、革命や民主化があってもそれは数百年間変わらずに来ている。『21世紀の資本』はそのような内容だ。階級や文化資本の再生産など、昔ブルデューが述べた通りだし、いまさら新しい理論でもない。しかしピケティーは「グラフ魔」で、それを多数のグラフでわかりやすく示してくれるので、「なんとなく思っていたこと」を「事実」として示してくれるインパクトはすごい。
だがなぜ昨今の日本で極端に取り上げられるかといえば、現在の格差社会が「たまたま」起きているのではなくて、歴史的必然だったということを気づかせてくれるからではないだろうか。そしてメディアは、国や時代を超えた、「格差」という普遍的真実を、たまたまピケティが発見したかのように大騒ぎしている。あるいは、日本だけでなくヨーロッパやアメリカにもあったことに気づいて、大騒ぎしている。・・・なんかヘンな騒ぎ方だ。はい、格差は普遍的です。問題は、各人がどうするか、だと思うのだが。
それでもピケティの本はとても面白い。ただし私は翻訳を買うつもりはないし、勧めるつもりもない。書店でパラパラとめくって、グラフだけ眺めてほしい。
なぜならば翻訳者のひとりである山形浩生が嫌いだからだ。知的優越感まるだしの男で、以前「テクハラ」で東京地方裁判所から悪質な名誉毀損を認定され、損害賠償330万円の支払いを命じられた。興味のある方は『叩かれる女たち』をどうぞ。極端に女を馬鹿にする男というのは、おそらく男社会の中で勝ち抜く度胸も能力もない奴だろう。たしかにピケティとか格差って、定職のない左翼リベラル知識人気取りが喜んで祭り上げそうだ。「社会や政治のせいだ!」と言って落ちこぼれた自分を自己弁護しつつ、大衆に対して優越感をひけらかして金儲けする、という一石二鳥の「格差論」ですもん。
というわけで、ピケティから現代日本を考えたい人には、翻訳ではなくて、『ピケティ『21世紀の資本』を読む』の方をお勧めしておこう。

ピケティ 『21世紀の資本』を読む 格差と貧困の新理論
ピケティ入門 (『21世紀の資本』の読み方)