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 「全盲」にフィーバーする日本って

ピアニストの辻井さんがクライバーンコンクールで優勝した。しかしマスコミの騒ぎっぷりは、彼が「全盲」であることばかりに焦点をあてていた。「日本人として初めての優勝」よりも、「全盲なのに優勝」ということの方が意味をもつ、日本社会。かわいそうな人が苦労してがんばって成功した・・・そんな「お決まり」の感動ストーリーでしかないのだろう。つくづく音楽を評価する土壌のない国だと思う。彼に対するマスコミの質問やコメントも、あきれかえるものばかりだった。
■本人「盲目の辻井ではなく、ピアニストの辻井として認知してもらいたい」 それはそうでしょう。でも彼のCDが売り切れ続出になるのは、そのCDを買っているのは、大江光のCDを買ったのと同じ層、つまり音楽なんかよくわからないけどかわいそうなものに同情しつつ文化に触れた気になりたいおばさん連中・・・だと思われる。日本のクラッシック界はなんだか変で、末永く生き残っているのは、(芸大学閥やコネを除くと)極端に美人か、極端な経歴か、極端な特徴(男なのに高音とか)の人ばかりだ。つまり実力じゃなくて、話題性だけね。そんな国でCDが売れても意味がないから、個人的には辻井氏は海外で研鑽を積んでほしい。
■記者「もし1日だけ目が見えるとしたら何を見たいか」 おいおい、ピアノの優勝に関するインタビューなのに、なんでこんなことを聞くんだ。目が見えるのがあたりまえ、盲人はすべて目が見えることにあこがれている、そういう前提で話してないか、この記者は。目なんかでは認知できない、ほんとうに繊細で美しいものを、その耳と心で日々聴いているからこそ、ああいう音楽が創れるんじゃないか。もし私が全国剣玉コンクールか何かで優勝して、「もしあなたが乳がんでなかったら、今頃何をしてますか」なんて記者から聞かれたら、「はあ? もしあんたがこれほどバカじゃなかったら、今頃何をしてますか?」とでも聞き返してやるだろう・・・・
■父親「これで、生まれてきてよかったと思ってくれるでしょう」 これもかなり危ない発言だと思った。もちろん、一生をかけるにふさわしい生きがいを見つけた、というような好意的な意味で言ってるんだろうけれど・・・これじゃまるで、「盲目では生まれてきた価値がない」という世間の価値観を父親自身が内面化していることを白状しているようなものじゃないか。乙武くんの母親が偉かったのは、生まれてきた瞬間に「まあなんてかわいい子」と本気で感じて、それを本人に表現できたことで、このために彼の自信が生まれたものと思われる。それなのにこの父さんは・・・いいかえれば、国際コンクールで優勝でもしない限り、盲目の人は生きていてはいけないってことか?と問いたくなる。辻井さんはこの親に苦しんだのではないだろうか。
■キャスター「優しい音楽ですね。お母様がご立派だったんですね。育て方がよかったんですね」 テレビで女キャスターが言った言葉だ。音楽のことなどわかりそうにない美人キャスターが、たった3,4秒の音声を聞いただけでなぜこんなコメントを発するのか。しかも成人の男に対して、「お母様が立派だったから」なんて、よく言うわ。小学生が毎コンで優勝したのならともかく・・・つまり、こういうバカキャスターから見ると、辻井氏は「ピアニスト」でも「男」でも「大人」でもなく、ただの弱く守られるべき「子ども」なんだろう。病人や障害者に対するそういう見方こそ、人を侮蔑するものだと思う。自分が男受けするために子どもぶる戦略が成功しているからって、別のマイノリティーまで同じように子ども扱いしなくたっていいじゃないか。ちなみに識者の評では、「優しい」どころか、「力強くて爽快」な演奏だったそうな(笑)。
個人的には、まだ彼の演奏をちゃんと聴いていないので、音楽的な評価は下せない。どうなのかなぁ・・・昔、盲目のバイオリニストとして騒がれた人のコンサートに、義理で行ったことがあるんだけど、聞いていられなかった。一流の音楽家として大成するには、たゆまぬ人間性の研磨や文化教養の修得が不可欠なわけだが、それをこれから本人が自覚的にやれるかどうかにかかっているんだろうな。