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 舞台上のパニック

cypres2013-11-02


知人がこんなニュースを教えてくれた。マリア・ジョアン・ピレシュが舞台でモーツァルトのピアノ・コンチェルトを弾こうとしたら、オーケストラはまったく別のコンチェルトの前奏を演じ始めた。さあ、パニックのマリアさん、どうする・・・その動画はこちらで見ることができる。
http://blogs.telegraph.co.uk/news/damianthompson/100243153/pianist-maria-joao-pires-panics-as-she-realises-the-orchestra-has-started-the-wrong-concerto/
もっともこれは、本番でなく観客つきのリハーサルでのことらしい。やらせという見方もあるが、マリアさんのパニックの様子は演技とは思えない。また人種差別等がからんでこの種の嫌がらせは音楽界ではけっこうある、という証言もコメント欄に散見される。
私はなぜこのニュースが気になるのか。実はこれと同じ状況の夢を子供の頃、さかんに見たからだ。ピアノヴァージョンもあるが、多いのはバレエヴァージョン。気づくと私は衣装を着て舞台の袖にいる。客席は満員。さあ次が出番よ、と促されるのだが、何を踊ったらいいのかわからない。それよりバレエすら習ったことがないのにどうして。無理だと言って逃げることが許されない状況に押しつぶされそうになる。えい、もういいや、へたくそでも自分流でもいいから、とにかく舞台に飛び出すしか・・・覚悟したところで目が醒める。
恐怖感のトラウマ。日ごろの勉強やお稽古を十分に行いきれていない、という自責の念がこんな夢になったのだろうか。それとも、本当はバレエや音楽のプロになりたかったのに、その道を進めないルサンチマンのせいだろうか。
思えば、がけっぷちの年齢になって突然バレエを始めたのも、いきなり舞台に飛び出す夢と共通するものがある。リアルにせよ、夢にせよ、そのとき「観客」のことなど気にせず舞台上で自分の踊りだけと向き合うことができれば、たぶん、私の勝ちなんだと思う。純粋にそうすることは、とても難しいけれど。ああ、これは「桜吹雪の人」の心境だね。
覚悟して異なる曲を弾き始めたときのマリアさんの姿は、おそろしいまでの集中力と緊張感に満ちている。