ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 「マーラーの緊張」と「つまらない春の祭典」と「がんの歴史」

(意味の無い、とりとめのない思考です)
久しぶりにマーラーの9番を聞いた。うん、一番好きな作曲家だ。この人の音楽には、常にものすごい緊張感が満ちていて、だからこそ、アダジエットの弛緩の瞬間が限りなく美しい。
その緊張感の源泉が、妻の浮気恐怖症や性的な不安感だったということが、映画『マーラー』からわかって、げっそりしたが(男の妄想と不安を描く、半ばポルノ映画なのに、これに息子を連れていってしまい、たいへん疲れた)。
ともあれ、その緊張感や集中力を持続するとともに、柔軟で豊かな発想も捨てずにいれば、世の中のたいていの仕事で大成できるんじゃないか、と、思った。(「男」はその強迫観念的な緊張だけで仕事するのよね。だからつまらない)
最近は、職場の腐敗や自分の病気のせいにして、私は手抜きの仕事しかしてこなかったが、執行猶予中の私としても、なにかもう一つくらい、ちゃんとした業績を作りたいな、と思った。
それとともに、したいことがある。私は美しい音楽や文化に触れたときに、ただそれを「すばらしい」と言って受容するのではなくて、その感動をアウトプットしたくなる。それこそが一番の幸せだと思う。仕事ではそれは不可能だ。だから子どものころ、バレリーナになりたかったのだろう。ピアノやバイオリンも習ったが、技術がなさすぎてアウトプットできるレベルにならなかった。楽器やバレエがもう無理なら、小説でも書こうか。
NHKで「病の歴史 第二話 がん」をやっていたので見たかったのだが、日曜の夜9時のお茶の間で、家族の前で、「私」がそういうものを見るのはあまりに気詰まりだったので、チャンネルをいじっていたらEテレビで「NHKバレエの饗宴2013」をやっていたので、ごまかしのために見ていた。しかしまあ、日本のバレエのレベルの低いこと。とくに東京バレエ団の「春の祭典」は、振り付けがほんとにベジャール?って思うくらいに、重々しくて、ばらばらで、気持ち悪くて、何がいいたいかわからなくて、ただただ不快だった。肉体の重さと醜さだけが引き立っていた。ほんとに日本人はコンテンポイラリーが踊れないな。表現力なくてもいいから、せめて群舞くらいそろえてほしい。わけのわからないことを、わけのわからないふうに踊るのがコンテだとでも思ってるんだったら、とんだ大間違いだ。それなら朝のラジオ体操でも踊っておれ。そうそう、こんどマシュー・ボーンの「オスカー・ワイルド」に行けば、口直しになるかな。
そんなわけで、今日の夜は、頭のなかが、マーラー⇒仕事⇒がん⇒バレエ⇒マシュー・ボーン というかたちでグルグルしていた。あした一人でこっそりと、今日録画した「病の歴史」を見ることにしよう。

ps.「バレエの饗宴」のメインゲストは吉田都さんだったがーーーまた反論が来るかもしれないがーーこの人のバレエはいつ見ても不気味だ。笑顔や肘から上の不自然な動きで「繊細さ」を表現しているらしいのだが、私に言わせれば、まったく音楽センスのない、ただのパントマイマーだ。いつも無理して「可憐な乙女」を演じているようだが、だったら演劇でもやれば?ロイヤルでも「乙女」を演じて、気に入られたのかしらん。