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 マシュー・ボーン『白鳥の湖』

cypres2010-06-16

ボーン演出のバレエ『白鳥の湖』(動画はこちら)を見てきた。白鳥が全部男性によって演じられる、有名なアレだ。話題性や好奇心よりも、ボーンの天才的な演出の才能に感嘆しっぱなしだった。チャイコフスキーの音楽をそのまま使ってはいるが、通常の白鳥湖を知っている人間が見ると、曲の使用方法や踊りをわざと「外して」いた感じがする。アラビアの踊り(?)の曲を王子の屈折した内面を表すのに使ったり。
とくに白鳥たちの踊りが、すごく「生き物」という感じで、生々しかった。オデット白鳥が初対面の王子を警戒する場面も、通常であれば両手を上げて拒否する程度だが、ボーン版は「ぐるる」とうなり声をあげて(バレエで声を出すのって、禁じ手だよね)、足でケリを入れる。本能的に警戒していた相手に、しかし、やがてどうしようもなく惹かれていくからこそ、禁断の恋の醍醐味が出てくる(通常のオデットは、ちょっとカマトトぶった深窓の令嬢でしかない)。
残念なのは白鳥の群舞が、いまひとつ揃っていなくて残念だったことか。もちろん男性用に高いジャンプや変調子が入っているので通常以上に揃えにくいことはわかるが、これは長期間の日本公演向きに配役も舞踏家側もちょっと気を抜いてんじゃないか、という感じがした。そしてモダンバレエというのは、曲を理解して表現できている人間とできていない人間の差が、すごくはっきりわかるのだということに気がついた。クラッシックならば、型通り踊れば群舞くらいはごまかせるのに、モダンではそうはいかない。上手い人はすごくうまいし、下手なやつはほんとに下手。
物語は、白鳥ではなくて王子の心理を主軸に展開されている。それはあまりに典型的な男性の内面世界にまとめられていた。
冒頭の抑圧された妄想=夢
→子どものままで大人になりきれてない王子(ママに甘えたい)
→色気づいた女に誘惑され、人並みに恋をしているふりをする
→思いが満たされず飲んだくれる
→運命の白鳥the Swanに出会う、恋
→宮廷でそれにそっくりな男the Stranger(黒鳥)現る
→男はママ(王妃)を誘惑
→王子は必死に男に愛を誓う
→拳銃沙汰、王子は精神病院に
→ベッドの王子の前に白鳥たちが現れ、裏切った王子を襲う
→白鳥the Swanはひとり王子を守って戦う
→王子の死、しかし魂は白鳥のものに
まさにゲイの社会適応の失敗とカミングアウトの心理劇の構成だ。しかもthe stranger(黒鳥)をママと王子が取り合うところが、生々しい。黒鳥は、ホモではなくてヘテロであるがゆえに(王子の心理から見ると)「悪」だという理屈になる。ゲイの人にとっては女性は母親しか存在せず、代替がきかないので、本当に本当に大切らしい。バルトやプルーストのママンへの愛は、ものすごく深かったし。いいかえればヘテロの男は、恋人や妻に「母」の役をやらせることができるので、比較的簡単に母から自立できるのだ(こっちの方が欺瞞だし、女としては不愉快な構造なんだけどね)。(蛇足だが、キリスト教ではマリアの処女懐胎の設定のおかげで、母をとりあう父と息子という葛藤やエディプスコンプレックスが巧みに避けられていて、その仕組みそのものが男性の願望である、ということをクリステヴァは『初めに愛があった』で言っていた)
ともあれ、世界観が変わったといっていいくらい、すばらしい世界だった。こういう表現をできる人や環境があるっていうことを知ることができたのは、貴重だった。すごくお勧めなので、みなさまもぜひ!(観客は女連れかカップルが多くて、うちのような母子連れは珍しかった)