ergo sum

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 「こわいわぁ〜」と言う女たち

テレビで凶悪事件が報道されるたびに「こわいわねえー」と言いながら、加害者に対する生理的嫌悪感と自分だけは安寧でいたいというエゴイズムをむき出しにする女たち。あるいは明日から始まる裁判員制度について意見を聞かれると、「こわいです〜、人を裁くなんて無理〜」と言いながら、自分の無知や無能を(なぜか)誇りつつ、自分は優しくていい人間であることをアピールする女たち。また、そういう回答ばかりを画面に映し出す、男ジェンダー寄りのテレビ局。
こういう身ぶりは、とくに年配の女に多い。こういうおばあさんたちの「こわいわあ」が、私は大嫌いだ。結局、無条件で長いものに巻かれて一生を送り、自分自身は「感情」だけで生きる(本能だけで生きる動物よりも、下だと思われ)。感情っていったって、犯罪に対する怒り、なんていう高等なものではなくて、他人から「善人&無知」に見られさえすれば得をするだろう、っていう、よくわからない損得勘定。いや、損得感情、か。
裁判員制度について言えば、制度の是非についての考えはともかく、まともな人なら、それが「市民の義務」だから勤めを果たすべきだと回答するはずだ。専門家の知識に及ばなくても、市井の人間として良識を示しさえばいい。でも、市民とか、義務とかいう概念がなくて、「自分には無理無理〜」と甘ったれることが最大の美徳だと勘違いしている日本人に、こんな制度を導入しても、無駄だと思う。この制度導入の建前は、「裁判を身近なものに感じてもらうため」らしいが、本音は、たんなる欧米の猿真似だろうと思う。実際に審理に参加しても、基準は「かわいそう〜」だけで、被害者遺族に同情するか、加害者に同情するかは、もうおばさん裁判員の好みだけ。氷川君サイコーと叫ぶのか、ヨン様命〜と叫ぶのか、の違いと同じだ。そんな、論理や法の彼方の世界が展開されることが、目に見えている。また、それを熟知している検察や弁護士たちが、いかに「感情」に訴えるかに腐心して、残酷な写真を見せまくったり、泣き落としにかかったりするか、も目に見えている。劇場型犯罪ならぬ劇場型裁判。
だから未成熟な日本の精神風土には、この制度は不適切だと思う。だが、これも深読みすると、一般人の感情に訴えることで、特定の犯罪については重罰化し、特定の犯罪については甘くする、といような、政治がらみの意図があっての発足だったんじゃないか、という気もする。衆愚政治のもう一段進化した形態としての、劇場型政治支配か。
犯罪もそうだが、ガンについても、図式的な反応回路がおばさんたちの頭のなかにできあがっている。「ガン」=「こわいわあ〜」、「ガン患者」=「かわいそ〜」。こわくてかわいそうなのは、あんたたちの脳みその方だ。