ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 続「こわいわぁ」またの名を「いやああぁぁー」


以前の日記で引用した部分の画像を貼ってみました。容子が乳がんだと知った夜、ヒロイン鯛子の見た夢の場面です。死神を背負った、とってもクラッシックなイメージ、ご苦労さまです。「ガン=死」って、やっぱりこうじゃなくっちゃあ、てゆう気合が感じられます。
いいかえれば、病気をカミングアウトした途端、自分が死神をバックに背負ったおそろしい存在だ、って相手に思われちゃうわけですね。いやだなあ。相手の頭の中は「かわいそ〜」「こわ〜」がぐるぐる渦巻いている。そんな状況で、対等な人間関係が築けるはずがない。でも映画や文学がこういうイメージを量産し続ける。
しかもこの画像の「いやああぁぁー」は、容子さん自身じゃなくて、鯛子の側なんですよね。夢という無意識のレベルでまで、善人ぶりたいのかなあ、とうがった見方をしてしまいます。もっともこの作品そのものは、大好きなんですよ、誤解のないよう。
付け加えると、この容子さん、再発の直後に結婚して、赤ちゃんを産みます。命の意味がわかったとかで、ばりばりの「お母さん」モード。踊りなんか、どこ吹く風です。そういうがん患者像も、なんだかなあ。病気と仕事(自己実現)を両立させちゃいけないんでしょか。それから、もしホルモン依存性のがんであれば、やはり妊娠出産はものすごくあぶないと思うんですが、この人どうなるんでしょう。物語の途中だけど、私の予想では、これで乳がんが悪化して、最後死ぬ、そしてヒロイン鯛子がさらなる人間的成長をするためのダシに使われる、ってオチじゃないかなあ。きっとそうだ。