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 いやな作文

息子の塾で、文章要約の宿題が出た。私がつきあってやって、「俳句や短歌が表すように、日本語は簡潔で美しい言語だ」というような要旨を先生に提出した。そしたら今日、「ダメ。やり直しだって」と息子が悲しげに持ち帰ってきた。え?私がいっしょにやったのに?それって私の国語力がないってことか、と落ち込んだ。orz
赤ペンのところを読む。「美しい言語だ」の先に、日本人の特質について入れなければならないとある。いや、本文はそんなことほとんど言ってないのに、「だから日本人は感性のすぐれた民族だ」っていう「まとめ」を入れないとマルがもらえないらしい!? ああ、わかった。日本の作文や要旨っていうのは、ただの事実を要領よくまとめるのではなくて、出題者の思想や民族的・宗教的イデオロギーを敏感に読み取って、それを増幅させて解釈しないと、「正確」な解答にはならないのね。うわあ、これこそ日本式「空気読め」ってやつだ。そもそも、俳句はともかく、日本語なんてちっとも簡潔な言語でないと思うし、そういう曖昧な言語をたっとぶ精神が優れているとも思わない。でも、出題者(あるいは世間)が右翼的に日本賛美を要求するならば、それをつかまなければならない。日本の国語=道徳教育の正体。
上位者が集団的プライドに固執するならば「右翼」になるし、「みんな平等、抜け駆け許すまじ」の思想ならば「左翼」になる。どっちも本質的に人間の感情におもねった思想だという意味で、個人的には大嫌いだ。だが子どもたちは、敏感にその両方向を嗅ぎ取らなければいけないのだな。
じつはおととい、もっともっといやな子どもの作文を見てしまった。世界史の授業を受けた女子高生の書いた作文だ。「細○兵器や従軍○安婦など、第二次大戦中に日本軍がひどいことをしたのを知ってショックを受けた。日本はひどい国だ。だから原爆が落ちても文句はいえない。広島や長崎の人は騒ぎすぎだ・・・」この教師が明らかに左翼で、生徒に大量の死体の写真を見せまくったことは明らかだ。それはよくある話だ。問題は、それに媚びようとして、この女子高生が、ただちに無意識的に日本を否定し、ヒステリックなまでの罪悪感で反応したことが、気持ち悪い。また、目の前の権力者に媚びるためだったらいともたやすくエゴイスティックに口先だけの自己否定を行い、本当に苦しんでいる広島長崎の他者の思いなんか、平気で無視できることも、たいへん気持ち悪い。あのう、原爆落としたのは、別の国(アメリカ)なんですけど。その責任を日本人は追求しないばかりか、むしろ感謝するような言説をはく(相手国に力があると、相手の非が見えなくなり、むしろ自分を相手と同一視してしまう、弱者のサガなんだろうか)。
学校教育って、現場の陰惨な写真を見せて誘導をねらう裁判員制度と似ている。こんな作文を書く子どもは、案外多いのではないか。そういう作文が、教師からみれば「優秀作文」で、学外の人々の目につくところにまで掲載されてしまう。この学生が女子であったことも、無関係ではないと思う。女性は、ことさらに「感情」によって動くことが「美徳」とされている。そしてその感情とは、自分の本来的な感覚や思いではなくて、目の前の権力者が誘導する、安直な、レディーメイドの「感情」なのだ。そういえば、情報弱者の最大の特徴が、「感情的」であることなのだそうだ。今後どんどん、こういう「感情」が食い物にされていくんだろうな。