ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 取りこぼしの価値

システムによる支配は、その定義からして社会での経験すべてをおおうことはできないのであり、したがって、ひとつの社会制度としてどころか、社会的な力としてさえ明確になっていないような別の新たな行為や意志の成立する余地が、いつも潜在的に含まれているのだ。(レイモン・ウィリアムズ)

イードによる引用の引用より。強者(=「自己」)が一枚岩としての「他者」を設定し、そうした他者についての言説を作ることによってヘゲモニーを確保していった歴史を批判的に見るのがポストコロニアルのまなざしだ。フーコーに始まって、スピヴァク、サイードグラムシなど。岩波の「ポストモダン・ブックス」シリーズ(翻訳)はたいへん読みやすい。

政治や医療制度が「システムによる支配」の一つであり、がん患者たちの実際の経験や思いはいつもそこから取りこぼされているが、それでもそこに新たな意志が成立し、やがては社会制度になるだろうという――希望をもつことができる。言葉をもたぬ者がブログや掲示板で語り始めたからだ。2ちゃんねるなどを見ていてそう思った。

サイードと歴史の記述 (ポストモダン・ブックス)