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 映画『フィアレス』

人の生にも死にも理由はない。生まれたときは、「子供が欲しかったから」とか「神様が授けてくれたから」とか言ってみたり、死ぬときは「悪いことをしたから」だと思い込もうとするけれど。

主人公は飛行機の墜落事故にあうが、奇跡的に生存する。それで人生観が変わるという話なのだが、予想よりも奥深い。ゴレツキの「悲歌のシンフォニー」(好きな曲だ)と共に、墜落の瞬間に向かって徐々に記憶が遡っていく描き方には、迫力がある。とてもとても渋いストーリーなのだが、こんな良作もアメリカにあるんだな、と思わせられる作品だ。事故や病気で人生観が変わった、あるいは変わりそうだ、という人にはとても波長があう映画ではないだろうか。(私自身、再発疑惑から一転して普通の日常に戻り、なんだか溶け込めないでいる)
ところで、マックス(主人公)は、「悲惨な事故にあいながらも生還したこと」で人生観が変わるのでは、ない。命の大切さを思い知った、というお決まりのパターンではない。また生存者どうしが共感しあって恋に落ちる、というような安直な展開でもない。
墜落の「直前」に全てが変わったのだ。死を覚悟した瞬間、とてつもない解放感が到来する。すべてから自由になる。「最高の気分だった」と語る彼を、周りの人々は事故のストレスによる精神障害だとみなす。
周囲の認識との圧倒的な「ズレ」があるが、それすらも気にならない。保険会社からいかに金をせしめるかばかりを考える人間たち(飛行機事故の場合、即死よりも、苦しんだ時間が長い方が精神的苦痛が大きいので賠償金も大きくなる、だから死んだ同僚についてそういう証言をするようマックスは求められる)、事故を機に壊れる夫婦関係、そこにつけこんで夫人に手をだそうとするセラピスト・・・だがそんなことはマックスにとってはどうでもいい。セラピストがバラを抱えて夫人を誘惑しにきたことよりも、そのプレゼントの中にいちごがあって、それを食べたいと思う気持ちの方が強い。
そういう感覚が、すごくよくわかる。家庭とか金とか、これまでの「幸せ」なんか、なんの意味もない。自分の命すら、どうでもよくなる。生還したからより長生きしたい、と思うのではなくて、本当に「いま・ここ」になってしまうから、逆に命へのこだわりもなくなってしまうのだ。
本人は他の乗客を助けたことでマスコミにヒーロー扱いされるのだが、そういうヒロイズムや、人によく見られるための勇気、なんてものをこの映画は正面から否定している。そういう無私の心境をフィアレスfearless(恐れ知らず)というタイトルが表している。無敵のマリオだ、うん。