ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 「はじめて幸福に」

たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。(サン=テグジュペリ『人間の土地』堀口大學訳、新潮文庫

自分の「生」が無意味であればあるほど、人は自分の「死」を恐れるものなのかもしれない。なにもしないうちに、自分がこの世から消えてしまう恐怖だ。その場合、死を恐れるよりも前に、自分の生を意味あるものにすべきなのだろう。また逆に、死の恐怖など味あわない人間は、自分の生の意味など考えもしないから、結局日々に流されて、あるいは他人に流されて、人生を終わってしまう。
サン=テグジュペリは、わがままなおぼっちゃんタイプの人間だが、何度も飛行機で墜落していて(しかし当時の飛行機は木造だったのでそれが弾力となり、死ななかった)、死生観については「ほんもの」をもっていると思うので、ここで引用した。