ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 マスクと国民性

10年くらい前にイギリスで製作された日本紹介のビデオを見たことがある。制服を着たOLたち(これも外人には珍しい風景だ)と並んで、街中でマスクをする人々が紹介されていた。「このように日本人は礼儀正しく、他人に風邪を移さないようにしているのです」といったコメントがついていた。言い換えれば、外国では、医療関係者以外はマスクをする習慣がない。マスクどころか、せきやくしゃみのときに手をあてない人も多い。向かい合って話していたアメリカ人に「べいっくしょい!」とくしゃみをされ、相手の口の中身の80%くらいが私の口のなかに入ったときのことを覚えている。愛している相手ではない場合、これはもう気持ち悪い以外のなにものでもない。(それは気持ち悪いのに、細菌やホルモンがたっぷり入った妊娠牛の乳を口から摂取するのは気持ち悪くないんだからなあ、人間って…)
マスクに話をもどすと、本当のところは、人に「移さない」よりも「移されない」ためにする場合の方が多い。大切な試験を控えているので絶対に風邪を引きたくないときなどにマスクをする。他人への親切のためよりも自己防衛のためであり、一種の自己愛的な自己満足を含んでいる。ほんのり温かく、ちょっとだけ自分の口臭が漂う、この空気は私だけの空気、誰にも汚させないわよ、私は私を大切にしているのよ…そんな気持ち。それが日本人のマスク観だ。
今回のインフル騒動で、まっさきにマスクを始めたのも、やっぱり日本人だった。海外では、メキシコ等を除き、ほとんどマスクをしていない。したって移るときは移るさ、というケセラセラ気質もあるだろう。面白かったのは、日本で最初に感染が確認された大阪の高校生の話だ。教師の引率つきでカナダに行った。日本からわざわざマスクを送ったにもかかわらず、「周りは誰もしていないから」という理由でマスクをしなかったそうだ。マスクをさせなかったことで、引率者や高校の管理ミスが問われている、という風土もきわめて日本的なら、「周りがしてないから」という理由でマスクを外した高校生の心理もまた、日本的だ。
せっかくの留学、それなのにカナダの人たちに変なふうに思われたくない、だから外す。欧米人に同化した気分で気持ちよく町を闊歩しているのだから、マスクなんかしてられない・・・それが若者の心境だろう。で、その結果インフルを拾ってしまい、日本にそれを広めることになってしまう。そういう構造もなんだか、すごく日本的だ。病気版、グローバリゼーション。
現実問題として、目下マスクをするかどうかは悩ましい。電車の中は知り合いがいるわけでもないからマスクはしやすいが、職場の会議や友人との会合では悩む。誰もしていない場で自分ひとりマスクをするには勇気がいる。みんな運命共同体ですよ〜という風土のなかで、自分だけは感染しないぞ、というエゴイズムの表現のように見られてしまうからだ。自己愛的なものだと思われてしまうからだ。そんなことを気にしなければならない自分が、とてもいやだが、やはり気にしてしまう。