ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 葬式写真の女

一泊の出張に行き、夜は女同士の飲み会に参加した。気のおけない仲間たちとのおしゃべりのはずだが、仕事のことにせよ、日常の食べ物や住まいのことにせよ、彼女らとの話がちっとも面白くなかったことを記憶している。たぶん私の方が変わってしまったのだろう。打ち合わせで銀座に行ったが先方が外国人で緊張したなんて話、もともと「くだらない」が、命や社会のことを考えている最近の私にとっては、もっともっとあくびがでるくらい、くだらない。
そのうち一人が――最も親しいはずの一人で、病名も打ち明けていたはずの一人が――、「いついつのポートレートはとても写りがいいので、ぜったい自分の葬式写真にしたい」と脈絡なく言い出した。それは勝手だが、そういうのは夫か子どもに言えばいいことだろう。珍しくよくとれた写真に固執し、自分の外見を他人に美しく見せることに執着する典型的な女ジェンダーを女たちの前で演出することが、女から共感を得る素敵なみぶりだといわんばかりの態度が、じつにいやらしい。しかもその場の女のなかで彼女は一番の美人なのだ。(別のパーティーで集合写真を撮ったときのこと、「あら、化粧を直す暇がなかったわ、ショック!」と彼女は男たちの前で大声でわめいて、男たちに微笑まれた(君は化粧なんかしなくても美人だよ、ベイビィ、とでも言われたかったのだろう)。他方、職場では普段すっぴんでもイケてる自分を自慢していて、厚化粧の女をバカにしている。そういう二面性が実にいやらしい)
「なにいってんの、列席者から「何十年前の写真?サバよんでる」、って笑われるわよ。あと40年もあるんだから、ハハハ」と別の友人がフォローする。
今40歳だと平均寿命は80歳だからあと40年。私もこのあいだまではそう思っていたよ。でもわからないんだよ。お気楽にそういえるあんたたちがうらやましい。
がん患者を目の前にして、自分の死だけは40年後という当然の前提で葬式写真の話で盛りあがる女たち。その無神経さに腹がたった。もちろん私のがんが初期で完治すると思っているからこそ、「死」の問題にも無頓着なのだろうけれど。しかしこういう話題が私に楽しいはずがない。今後心のなかで葬式写真の女を軽蔑し続けることにした。
もし彼女が5年後くらいに交通事故で死んだりしたら、「フフフ、勝ったわ」と快哉を叫ぶことにしよう。祭壇の前で私はつぶやくだろう。「いくら写真が美人だって、死んじまったあんたに何の得もないでしょが」。
いいえ、5年後の交通事故どころではないわ。完治したうえに健康に気をつけるようになった私は90歳くらいまで生きるの。そして60歳くらいで脳溢血か心不全で死亡するあんたに「ざまあみろ」って叫ぶの…(ここまで書くとだんだん自分が虚しくなってきたからやめる)