ergo sum

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 久野和洋さんの絵(続)


練馬区立美術館のサイトより引用)
もう一つ、絵をアップさせていただきます。
久野さんは、20才のときに「ゴッホ展」を見て突然画家になることを決意し、また、ルーヴルでジョットの「聖痕を授かる聖フランチェスコ」にショックを受けて、一年かけてこの絵を模写した、という人だ。芸大にトップで入って、有名な画家に指示して、賞を総なめ・・・といった画家にありがちの経歴の「真逆」を行っている。
運命の出会いっていうのは、必然だと思う。その人が求めていた精神性や崇高さが、誰かの手による作品として目の前に具現化したとき、人は衝撃を受ける。めぐり合えた人は幸いだ。また、そういう出会いをし続けていかないと、画家としての奥行きが広がらない。有名だったり、権力があったり、すればするほど、そういうアンテナが鈍ってくる。芸術家にとっては致命的だ。
特徴はリアリズムだと書いたけれど、もう一つ、なにか宗教性のようなものが、この人にはある。この絵も、一見、日本画風の緻密な風景だが、百合の可憐さと、土(水溜り?)の底知れぬ深淵がいいようのない不安定感をかもし出していて、そこになにか、命とか、運とか、存在とか、そんなものが投げかけられているような感じがする。
この絵の題は「地の風景 かたすみ」。かたすみ、ってところがいい。私たちの人生もみんな、地上のかたすみにひっそりと花咲いているんだし。