さきほど北原惇氏から、スウエーデンの新自由党のシンボルがインターネットで公開されているというご指摘をいただいた。こちらです。
完全に「黄色い肌、黒い髪」、つまりかつてヨーロッパ人たちが作り上げた「日本人の色」の人間像がシンボルとして使われている。北欧以外の人間からみれば、北欧こそ「金髪で青い目」といった「西洋的白人像」の本拠地だとイメージしているので、なおさら意外だ。
8/25付のブログで紹介させていただいた北原氏の『黄色に描かれる西洋人』では、植民地主義の支配の道具として、人工的に人種に「色」が割り当てられてゆくさまが描かれている。つまり白や黄色は自然的・生物学的な属性ではなく、イメージ支配の道具でしかない。そして最近は、白人自身が自らを黄色で表象するようになってきた。
なぜ黄色い白人像が増えているのか。それがより「男性的」だからではないだろうか。黄色の方が血気盛んで活動的なイメージがある。シンプソンズやスポンジボブも「男」、スウェーデンの党のシンボルも男性である。
『ジェンダーから世界を読む2』(この本はお勧め!)のなかにロチの『お菊さん』に触れた話がある。これは19世紀フランス人の日本に対する憧憬と軽蔑が露骨に表れた小説だ。日本に来た男たちはエキゾチックな生活に相応しいムスメを選んで愛人にする。化粧したムスメたちを見て男は言う、
「あの子はあまりに白すぎます。私たちのフランスの女のようです。私は変化のうえで黄色い女が欲しいのです」「あれはおしろいが塗ってあるのですよ。その下が黄色だということは保証します」
ここでは、「西洋=白/東洋=黄」と並行して、「男=黄色/女=白」という区別が使われている。黄色は野生的で変化の色、白は人工的で保守的な色。もっと深読みするなら、黄色は旺盛な性欲や生命力そのものだ。そう考えると革新政党が「黄色い男」を表象に選ぶことも説明できるのではないか。
もっともどちらにどちらの記号が割り当てられるかはそれほど重要ではない。どの割り当てにしても、自然の与件の客観的な把握に基づいた合理性などなく、すべての二元的な表象は現行の社会秩序を正当化するためにある。対比の存在や象徴的還元そのものの中に意味がある。そういうことをとある人類学者は言っていた。また『オリエンタリズムとジェンダー 蝶々夫人の系譜』も『お菊さん』を詳説していて面白い。