ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 乳がんに捧げられた「首絞めセミヌード写真」

ブロガー同盟のペコさんのところをきっかけに、ピンクリボンキャンペーンの「セミヌード問題」が広まっている。遅ればせながら、昨日読んで知った。乳がん撲滅のために芸能人がきれいな乳を披露する、って、なんじゃい、こら?これがいかに患者を傷つける企画か、ということは皆さんの言っている通りなので繰り返すまい。ヌードを見たいだけの、男のやらせでしょ、どうせ。(もし企画者が誰だかわかったら情報提供をお願いします)
ヌード写真の筆頭に出てくるのがオセロ中島のセミヌード。「オセロ中島も一肌脱いだ」のキャッチフレーズで美談としてとりあげられている。で、この写真が実に不快だ。このブログに張ることすらできない汚さだ。アイシャドーばっちりの超濃いメイクに、黒いネクタイを首の周りに渡しかけ、手で巨乳を押さえている。「巨乳をみせつけてる」とまず女性なら思うだろう。もちろん乳がん患者や貧乳の女性はこれをいやがらせに感じるだろう。黒ネクタイは何なんだろう。わざわざ自分の右手で首をきゅーっと絞めているから、「もうすぐあなたは死ぬのよ」っていうメッセージ?しかもどぎつい悪女メイクで、まるで悪魔か死神のよう。おお、洒落ているじゃないか。これが乳がん患者応援ヌードなのか。
業界側の事情を斟酌するならば、おそらくは色気で売っている女優が脱ぐよりも、お笑いの女性が脱いだ方が親近感や好感度が上がると計算した。そして悪女系にして個性を出した方が、より芸術的だとでも思ったのだろう(てか、色気やみずみずしさでは他の女優に勝てないし)。その結果がこれ? それが見る人をどういうふうに傷つけるのか、想像できたの? いや、してないでしょうね。
で、一番むかついたのは、首にかけた十字架のネックレス。これでもって、かろうじて「善意」(=かわいそうな人のためにやってあげてるのよ)を表すつもりのようだが、金や売名のために裸体をさらしてる人間に十字架はつけないでほしいな。てか、宗教的冒涜でしょ、キリスト教信者に対する。一般の芸術作品なら、各自の中に共存する聖女性と悪女性、などという象徴的な説明もできるだろうけど、これはねえ、明らかにがんを撲滅し、がん患者を支援するという名目での、ヌード(?)なの。そういうメッセージ性を帯びた写真で安易に宗教的な表象を使うことが、どれほど危険なことなのか、わからないのかしら。たとえば聖路加病院のチャペルの十字架の前で、乳がんの患者さんたちがこれまで行ってきた、全ての祈りや涙を傷つける行為なんだって、わからないのかしら。(もし前立腺ガンの患者支援と称して、下腹部に十字架をつけた巨砲外人男性のヌードをばらまいたら、患者さんたちはどう思うかしら?)
秋吉久美子が犬(ぬいぐるみ?)を抱いて、10代の小娘みたいに、「私を好きにして」って感じでねそべってる写真もくだらないが、っていうか、老婆が幼女的な写真を提供することがなぜ乳がん支援なのかわからないが、これは「くだらない」の域で終る。だが、中島の方は、くだらない以上に、「有害」であり「毒」があると思った。
倖田來未は「35過ぎると羊水が腐る」と発言して、全女性の怒りを買った。言葉と写真の違いはあるが、オセロ中島のヌード写真も、これと同じ問題だと感じた。本人はよかれと思ってやっているのだろう。「よかれ」というのは、つまりこれをすると、世間が気に入ってくれる、という発想だ。その世間とは、言うまでもなく「男社会」だ。若い女」「乳がある女」だけに価値を置く男社会を内面化しているからこそ、こういうことを芸能人たちは喜んでやりたがる。というわけで、この一連のヌードに登場した女たちは、男に操られてることに気づかない頭のねじのゆるい芸能人の一覧、として一くくりにすることができるだろう。