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 母性と巨乳と乳離れできない男

仕事で街中を歩いていたら、巨大な映画の宣伝広告。うへー、と思った。ジェンダー的に、これほどバッチリ、異論の余地なく、あきらかな、みっともない、男の妄想映画って、ほかにないんじゃないか。「平凡な中学校教師と、大らかな母性で彼を受け止める元ホステスの純愛」の『秋深き』。母性ってなんだよ、母性って。そんなもんないんだよ。あんたら、バダンテール読め。百歩譲って、子供を母性で愛することを認めるとしても、クズ夫を愛するのに、なんで母性を用いなきゃいけないんだよ。おい、マザコンが市民権を得たからって、そこまで女に要求しないでくれ。「元ホステス」は「子供なんか作れないぼろぼろの体」(という設定)だから、男に対して母性を発揮するしか生きる道がないって?
帰宅してストーリーを調べたら、ますますウゲっとなった。「女は男の一途さに惚れ、男は女の乳房に恋した」がキャッチフレーズの乳房フェチ映画! 妻は巨乳で、そういう魅惑的な身体でもってマザコン男を愛するわけだが、その胸がよりによって不治の病に。女は死の危機に瀕し・・・おい、こんなマザコン映画に乳がんを使わんでくれ〜 「母性」と「胸」をばっちりと連関させるところも、多分に男の妄想であり、期待であろう。母性なんちゅう本能はないにもかかわらず、それが「自然」で、女性の身体から自動的に発生する機能であるという印象を与えるために、「胸」が悪用されている。昔は「女は子宮で考える」なんて言われたもんだが。しかも妻の「過去の男性遍歴が激しかった」と設定され、あるいは、そのことが病気の原因と思われかねない作りだ。原因といわないでも、そういう類型が乳がんになるんだ、という偏見を十分に作り上げるような素地がある。患者としても不愉快。
こいつら(映画製作者たち)は、社会に進出し、「母性」とやらを発揮しないような女がとことん嫌なんだろう。あるいはもう、仕事の上で女に負けてるのかもしれない。だから、男にサービスするプロで、しかも「たくさんの」母性をもった、元ホステスを理想化しまくって称える。ただし、最後は殺すんだよな。カップルの悲恋って、必ずマイノリティーの方が、死ぬ設定なんだよな。そいで、しょせん社会的融和はありえない、それでも俺たち男は優しいから、こういう不幸な女を愛してやるんだ、みたいな男の権力の確認で終るんだよな。「うちをしあわせにしてくれてありがとう」と妻は言う(わかってないな、元ホステス、「幸せ」は自分が感じるものであって、結婚のような制度ではないし、まして男に「していただく」ようなものじゃないぞ)
わるいが今回は、まともな言葉でこの映画を語る余裕がない。あまりにくだらない。あまりに男としてもみっともない。「女には母性があるから、たとえ男がどんなクズでも、男を愛さざるを得ないんだ」・・・それがこの映画のメッセージ。こんなもん作ってる暇があったら、仕事しろ。金稼げ。強くなれ。
母性という神話 (ちくま学芸文庫)
http://www.akifukaki.com/index.html