ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 「愛ちゃん」という表象

テレビをつけたら福原選手の恋人がどうのこうのという話題。彼女の本命はテニス選手だが、中国にも親しい人がいて・・・といういわゆる有名人のゴシップネタだ。彼女の卓球の能力や、ましてプライバシーには、個人的になんの興味もない。だが彼女に対する報道の姿勢は、いつも偏っていて、いやだ。
まず。いやしくも世界のトップレベルの選手であり、もう20才近い大人なのだから、「福原選手」とか「福原さん」と呼ぶべきであって、ペットかアイドルみたいに「愛ちゃん」を連発するのはおかしい。呼んでる側は好意を示しているつもりなのだろうが、ほとんどすべてのハラスメントは、「好意の表現」「悪意はない」、つまり「一方的で」「無神経である」ということが前提として存在する。また、そう呼ばれることの背景には彼女が「女」であることが、ある。男性選手を「一郎ちゃん」「健ちゃん」と呼ぶことはないだろうから。
彼女がこの種の扱いを受ける理由は二つあると思う。一つには、幼児期からマスコミに露出していたので、みなが彼女を「子供」だというイメージを持ち続けたこと。もう一つには、色白でぽっちゃりした童顔であること。「女」を「子供」扱いすることが好きな男たちにとっては、格好の材料なのだ。その無垢な「子供」が「恋愛」することは、さらに男たちを楽しませる。自己責任の大人の恋愛とは異なり、なんだかあぶなっかしくて守ってあげたくなるし、無垢な少女が性に目覚める過程というのは(男にとって)わくわくする見世物であるし、また、どんなにスポーツで優秀でも、しょせん「本能」や「性への関心」にとりつかれた「(ただの)女」だということを確認することは(男にとって)ほっとするわけであるし・・・と楽しいことだらけなのだ。
だからこそ、彼女についての報道は、いつも意識的に偏向している。いつだったか、彼女がストーカーにおいかけられた事件があり、試合後のインタビューで、執拗にストーカーの体験を持ち出して「どんな感想でしたか」「なにがあったのですか」と陰湿に質問を発し続けたインタビュアー(男)がいた。福原はそれでフラッシュバックしたのか、真っ赤になって泣き出してしまったのだが・・・それもまた、インタビュアーがねらった、お楽しみの「反応」なのだろう。卓球や試合についてインタビューしなければならない場で、性的なことを取り上げて楽しむなんて、これも典型的ないやがらせだ。ただし彼女の場合は自ら好んでマスコミに露出しているから、そうした不快感も自分で忍ぶことを承知済みなんだろうか(いや、そんなジェンダーなんかを勉強してる余裕はないだろな)。
だからいつまでも彼女はマスコミのペット。恋愛したり、おしゃれしたりするほど、騒がれ、もてあそばれる。いやだなあ。ついでにつけくわえると、女の子に「愛」なんて名前をつけること自体が、まちがっていると思う。自分が愛する主体になるという意味ではなくて、かわいらしくて、人から愛され、ちやほやされることをこの名前が希望しているわけだから。そういえば、どこぞの皇族にも愛子とかいう少女がいたっけ。親のネーミングセンスを疑う。