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 『余命嫁』がなぜ嫌なのか

peko様が批判キャンペーンを張ってくれている『余命嫁』。あの映画はたまらなく不愉快なんですが、その不愉快の正体がなかなかよくつかめず、分析しなくてはと思ってました。こんなとこでしょうか。
病気や死の商業的利用(金儲け)
・ご本人の心などどこふく風で、勝手に盛り上がっている周囲(映画製作側等)のいやらしさ
・短命の人に「幸福」を与えてやってるんだぞ、というウルトラ偽善的な自己満足がぷんぷん漂うこと
・「女の幸せ=ウェディングドレス」という構造の短絡さと、そこまでして女を結婚に封じ込めようとするジェンダー的な意図
・巧みに隠蔽されている、女性の身体(乳房)毀損に対する、デバガメ的な好奇心や、ざまあみろといった報復的な心理
乳がんになったらすぐに(=1ヵ月で)死んじまうんだぞ、という誤ったメッセージを発し、恐怖を煽っている点(追加)

つまり、真の幸福や不幸は本人の心の持ちようにあると思うのですが、この映画では、「乳がん=短命=不幸」、「結婚(男)=ドレス=幸福」という図式を視覚化して決め付けている。それに対して誰も文句言うな、といわんばかりの、完全に外面的な、映像的な、圧力に対して、たいへんな怖さを感じるのです。それこそこの社会が、女たちに押し付け、洗脳させたい、根幹のところだと思います。ストレスの多い仕事して、乳がんなんかにかかって「不完全な」身体になる前に、さっさと普通に結婚して子ども生めよ、ってゆう男社会のメッセージでしょう。
yoccyan様が先日コメントしてくださったことを引用させていただきます。私自身も完全に同意する意見です。ぜひ多くの人に読んでもらいたいです。

生きづらい、と現代社会を表現することが多いのですが、またバブル後位まで(派遣法改悪以前)はまだ、人間が人間らしく評価されていたと私達は思うことが多いのも事実ですが、その頃は乳がん患者はどうだったのかな。
癌、ということが今より恐ろしげな空気だったから、乳がん=おっぱい→デバガメ好奇心ではなかったのではないかと想像します。
いや、一部男性にはあったかもしれませんが、気の毒だというのが先立つ感情だったかなと思います。
乳がんへの異様な好奇心は、煽る対象を見つけられなくなったカスなマスコミが作った世論?もどきでしかありません。
奇型を見世物にしたら人権問題になりますが、安っぽいドラマを被せたら、乳がんもの=ポルノの意図を隠せます。
これが性器癌では具合が悪いのですが、おっぱいがユニークな女は興奮するレイプの対象です。
子宮がん患者の深刻さは見世物にすると世間から叱られますが、乳がんはソソルというのをヒシヒシと感じます。
乳がんの患者は、病気のダメージに加えて、セカンドレイプ被害に泣かないよう、「だから何なんだ!これで儲けたやつ顔見せろ!」と言い続けるべきです。女同士がヒソヒソと好奇心を丸出しにしている場面が、女として恥ずべきことだと、少なくとも女にだけでも浸透するまでは。