ergo sum

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 「渡されるモノ」としての女

いやなCMシリーズ第二弾。
カメラのCMだった。父親が娘の写真をばんばか撮っている。

「大きくなったら(写真を)渡してやろうと思って。ただし娘は(男に)渡さないけどね」
(舅登場)「わしは(あんたに娘を)渡したけどね」

結婚によって、「女」が家から家に渡される「財」であることをレヴィ=ストロースは「大発見」し、こういうのが構造主義として流行ったのは何年前のことだろう。それはどうやら世界中の「普遍的な」構造らしい。それにしても、こんなに露骨に「渡されるモノ」としての女を語るCMが大手を振って放映されているところが、日本のくだらなさを象徴している。男の妄想に迎合するなら、どんな不道徳な内容でもメディアにのってしまう国なんだな。
うるわしき「親子愛」だから文句ないだろう、というひらきなおりも感じられる。だが実際は、親子でありながら、男親が娘を擬似恋愛的にフェティッシュに愛しているのが露骨にわかる。いや、親子間にそういう心理が存在しうることは否定しないが、それをあからさまにCMにして金儲けの材料にするってのはどうよ?「かわいい娘」をモノとして、「見て」、「興奮して」、まるでエロ写真を収集するように、大量の画像に残しなさいよ、お父さん。そういうあんたには、いいカメラが必要ですよ、高いカメラを買いなさい、それは男の甲斐性ですよ・・・とメッセージを発し続ける企業。
もし母親が息子を、若い男を愛でるような身ぶりで偏愛したら、それは社会が許さないだろうし、ましてそれがCMになることなどないだろう。こういうのを男女間の非対象性と言う。なにかジェンダー的に変だな、と思うときは、男女を入れ替えてみて非対象的かどうかを考えてみるといい。非対称的なことがらは、ほぼすべて100%、保守的で遅れた男ジェンダーの支配をうけている。
「独占」「所有」というかたちでの支配。人間の人間に対する支配。親子だろうが、愛だろうが、どんな口実をつけようと、それ自体が歪んでいるし、気持ち悪い。独身男がロリコンアニメにのめりこむよりも、父親がロリコン化して娘を偏愛するほうが、もっと気持ち悪いと思う。またそれを、企業が金儲けのために煽っている構造も、気持ちが悪いと思う。
しかも、「渡す」にひっかけた、なかなか洒落たCMだ、と製作者がうぬぼれている感じが伝わってきて、ますますいやだ。どうせ博○堂?くだらないし、気持ち悪いし、不愉快だ。やめてくれないか。え?ロリコン男ども?