ergo sum

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 ホモソーシャルとは

部屋の掃除をしていたら、上野千鶴子の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』が出てきた。男が馴れ合う「ホモソーシャル」という概念がわかりやすく説明してあったので、ちょっと引用させていただこう。

ホモソーシャルな連帯とは、性的主体(と認め合った者)同士の連帯である。「おぬし、できるな」とはこの主体成員のあいだの承認を言う。「よぉーし、おまえを男の仲間に入れてやろう」という、盟約のことである。この主体成員のあいだでは、〔…〕互いを客体化する性的まなざしは、危険なものとして、禁忌され、抑圧され、排除される。
かくてホモソーシャリティーは、ホモフォビアによって維持される。そしてホモソーシャルな男が自分の性的主体性を確認するためのしかけが、女を性的客体とすることである。〔…〕「女を(最低ひとりは)モノにする」ことが、性的主体であるための条件である。
「所有(モノ)にする」とはよくも言ったものだ。「男らしさ」は、女をひとり自分の支配下に置くことで担保される。〔…〕女を自分たちと同等の性的主体とはけっして認めない、この女性の客体化・他者化、もっとあからさまに言えば女性蔑視を、ミソジニーと言う。
ホモソーシャリティーは、ミソジニーによって成り立ち、ホモフォビアによって維持される。(pp.28-29)

ジェンダー系のエントリーは久しぶりかもしれない。こんなことをしていても、大掃除はちっとも進まないのだけれど。
女ぎらい――ニッポンのミソジニー