ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 手術直後の思い出

病院でチューブにつながれることは尊厳かどうか・・・なんてことを前回のブログで書いたので、自分の手術直後のことを思い出して書いておきたい。
今から二年前、生まれて初めて全身麻酔の手術を受けた。目覚めたとき、口には呼吸器、鼻の穴にはチューブ、腕には抗生剤の点滴のチューブ、足の指先には心拍モニターのクリップがとめられ、下腹部には導尿のチューブ。手術直後はパジャマが着れないとのことで浴衣を事前に提出させられていたが、その浴衣も、着るというよりは、包帯でぐるぐるまきの体の上にただ掛けてあるだけの感じで、うすら寒かった。体全体が重たくて、麻酔の醒めかけは実にいやな感じだった。目には目やに、鼻は鼻水がたまり、唇は乾燥してバサバサ。看護婦か家族か、誰かそのくらい気をきかして拭いてくれてもよさそうなものなのに、気づかない。彼らにとって大事なのは私の血圧や心拍数であって、目やになんてどうでもいいこと。他方身動きできない私にとっては、それこそが一番気になること。この重要度のズレのようなものが、案外患者にとってはつらかったかもしれない。また、浴衣の下から太腿がベロっと出るような姿勢で、しかも全ての人間に「見下ろされる」体勢であることも屈辱的だったように思う。つまり私は、ただの「モノ」と化していた。
だが一番つらかったのは、身動きしてはいけないということだった。私はいつも横向きやうつぶせでないと眠れない習性がある。それなのに仰向けで、首に合わない枕を調節することもできず、じっとしていないといけない。少しでも動くと、たくさんのチューブが外れてしまう。痛みとか傷のせいではなく、動けないつらさで、一晩中眠れなかった。明け方になるころ、ようやく知恵がついてきて、看護婦さんから枕をもう一つもらって脇の下に置いて、からだをちょっと右向きにずらすことができた(この看護婦さんは、ほんとうに思いやりのある人だった)。
だからその時は思ったのだ、こんなつらい思いをするくらいなら、将来病院でチューブにつながれて死ぬのはいやだなあ、自宅で早く死にたいなあ、なんて。だが今になって思う。私は、動けないことが不快だったのであって、それと死とは、本質的には何の関係もない。病院や治療そのものが悪くて、自宅がより快適なわけでもない。また動けないことにもやがて慣れるだろうし、対処方法も見つかるだろう。そして時間が経てば必ず、そんなつらさも忘れてしまうだろう。そういう知恵や冷静さをもたなくてはいけない。