ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

入院中のこと

【8/6〜 入院中のこと】
そして8月6日から入院だった。冗長になってしまうが、個人メモとして書いておく。
・6日
患部のマーキングを行う。切開手術と違って視界が限定される胸腔鏡手術ではマーキングを正確に行うことが重要である。従来の方法はフックワイヤー留置といって、患部のそばに釣り針みたいなフックを留置する。しかし患部の特定が完全でないうえに、無駄に患部を傷つける可能性がある。
「フックワイヤー留置を行った6例中2例に病変周囲に出血を伴い、このため1例で病理診断が困難であった」(第39回日本肺癌学会総会号C-58)http://ci.nii.ac.jp/els/110003134686.pdf?id=ART0003541875&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1346652954&cp=
…なんだか釣り針で無駄にがんを飛び散らせているような気がするな。そのため色素注入の新しいマーキング方法が開発途上であり、今回はその治験に参加した。この場合は「出血などの合併症はなく、病変周囲に繰り返し注入することができ」る。つまり、明瞭に腫瘍の輪郭をとらえることができるらしい。
部分麻酔でマーキングを受けたが、病室から戻るときは歩けず、ベットごとの移動だった。直後に全体が真っ赤な血痰が出たが、これが普通らしい。
手術の前日ということで麻酔科などの各種の医者が説明・挨拶になんども来てくれる。丁寧なのはいいのだが、インターンの練習期間だったようで、各科の挨拶が二度ずつあるのは参った。「医者と患者ごっこ」なんて、もうしたくないよ・・・
・7日
朝10時から胸腔鏡手術だった。予定は4時間くらい。家族とのお別れがエレベーターの前だったのが助かった。もし手術室の前であのものものしい装備を息子が見たりしたら、けっこうショックを受けただろう。手術室に入ったところまでは覚えているがあとは記憶に無い。
呼ばれて一気に麻酔から醒めた。乳がんのときは醒めるまでに時間がかかり、たいへん不快感があったのだが、不思議と今回は、熟睡した直後のように気持ちよく目覚めることができた。
それはよいことのはずだったが… 実は地獄だった。すっきり目覚めた後はまったく眠れず、3時頃から翌朝までもんもんとしていた。意識は完璧に醒めているのに、体は絶対安静でまったく動かせず、管につながれているのはたいへんつらい。その一日はICU入りだったが、ICUというのはかなりうるさい。看護師の出入りが激しいし、お隣の患者が重篤なようで血圧だの呼吸だのしょっちゅう騒いでいる。しかもなぜか有線のラジオがずっとかかっており、これが不愉快だ(患者を退屈させないためなのか、看護師を眠らせないためなのか?)。もともと演歌やポップスは嫌いで聴きたくもないうえに、ラジオ司会者のべらべらしたおしゃべりなど騒音以外の何ものでもない。消灯の21時に眠れるはずもない。ちょっとうとうとして、これならもうすぐ朝だろうと思って時計を見たら22時だったときの絶望感はなんともいえない。0時過ぎに睡眠剤をもらったが、それでもまったく眠れなかった。朝日が見えたときはどれほどほっとしたことか。
・8日
翌日から普通病室に戻った。今回は個室にしておいてよかった。せきや痰があるので、相部屋だと回りに気を使う。イヤホンを使わずにテレビを見ることもできる。尿道の管、空気や不要物を出すための患部につながった太いチューブ、麻酔等を入れる背中の細い管など、いろいろな管がつながっていて、身動きは不可能。そういう身にとっては、イヤホンの操作すら気力と体力を消費する高難度の技なのだ。
この日は38度9くらいの熱がでた。手術後の熱はあたりまえのことなので誰も驚かないが、私としては高熱と低血圧でけっこうつらく、気がめいった。一番落ち込んだように思う。だが不思議と夕方になったら突然熱が下がった。汗をかいたわけでもないのに不思議だ。麻酔からの目覚めとこの解熱、今回の入院の二大不思議事件だ。何か良いことの兆候と受け取っておこう。
それに、だ。がん細胞は38度5の熱で死ぬといわれている。今回それを上回る熱を出したので、きっとみんな死んでくれているんじゃないか、と期待している。
・9日〜
そろそろ動き始めないといけないのだが、上が100以下の低血圧が続き、離床できない。「痛い⇒動けない⇒低血圧継続⇒動けない」 の悪循環だということがわかったので、看護師さんに痛み止めをもらった。普通は「仕方ないわねえ」といった顔でしぶしぶくれるのだが、このときの看護師さんはこう言った。「日本人は痛みを我慢するのが美徳みたいに思って耐えちゃうんですよね。外国だとさっさと痛み止めもらってさっさと動いて治しちゃうんです」それはちょうど私が考えたことと同じだったのですごくうれしかった。たしかに日本式病人マゾヒズムは性に合わない。
定時巡回では、体温とあわせて、指先クリップで酸素飽和度を計るのだが、私はいつも飽和度が低いらしくて、看護師が「さちゅれーしょん!」と叫び、深呼吸させられる。普通の人は95-97%くらいらしいが、私は90を下回っているようだ。それでも本人はまったく平気なので、手術のせいというよりはいつも飽和度が低かったようだ。たしかに私は呼吸が下手だ。なにかあるとすぐに息をつめる。
幸いオリンピック期間だったので、テレビはいい気晴らしになった。バラエティーやニュースは気に障るものが多いが、オリンピックの適度な単調は時間つぶしにはもってこいだ。消灯時間を過ぎて見ていても、看護師さんも多めにみてくれる。応援している選手がいるんだろうな、と思ってもらえたのだろう。
あとは患者としてすべきは、なるべくたくさん痰を出すことだ。患部が痛くて最初はうまく出せなかったのだが、慣れてくると、お腹の底から上手に出せるようになる。からだの中と外ってつながっているんだな、気持ちと体もつながっているんだな、そんなことを考えた。
・10日
ようやく管が外れたので、動くことができた。シャワーの許可が出たので4日ぶりに洗髪できたのがうれしかった。
自分が元気になってくると他の人のことも気になってくる。こういう時代なので外科病棟にも何人か認知症の患者さんがいる。彼らの徘徊やつぶやきはかまわないのだが、「だめでしょお、そこに行っちゃああ」といった、彼らに対する看護師のいささか軽蔑の入った大声の叱り声が不愉快だったかもしれない。
・11日
ようやく退院することができた。胸腔鏡手術は早ければ3、4日で退院できるが、結局6日かかった。低血圧のせいだ。全体に順調に行ったので、主治医の先生もにこにこして声をかけてくれた。