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 尊厳死法案をめぐって

すばらしい医師と どうしようもない医師の差が 大きすぎる

12日のNHKの尊厳死をめぐる番組に出演していた中島みちさんの言葉。彼女も乳がん経験者で、ノンフィクション作家として活躍している人だ(こんな記事があります)。「安楽死というと、耳触りのいい言葉ですが、結局は命の線引きであり、優生勢思想につながるものではないでしょうか・・・ つまり患者にがんと闘うな、ということなんです」 
安楽死については、私自身あまり考えたことがなく、機械につながれて苦しんで死ぬよりは自分で死期を選ぶことがあってもいいのでは・・・という程度の認識しかもっていなかった。だが、日本で、成立させなければならない医療関連法案が無数にある中で、安楽死尊厳死法案ばかりが一部の議員の強烈なサポートを受けて推進されつつある現状を知ったとき、その推進勢力の腹のうちがわかった気がして、賛成できなくなった。要するに医療費削減という国家の財政的な圧力が背景にあるのだ。
法案を推進している議員の顔ぶれをみると、なぜか女性議員が多い。オランダ風の先進的な自己決定権をかざすことが人間の尊厳であり、知性である、と素朴に思っている感じがする。日本国民の生死観の成熟度も低ければ、議員たちの知的成熟度も低いので、結局のところ権力のある方向へ誘導されるしくみになっている。
「死」とはもっと複雑な、わりきれない現象ではないか。法律で他人に薦められるようなことではないのではないか。安楽死が法制化されることで、簡単に死の方へ誘導されるのはごめんだ。もし法案が成立したとしても、本当に自分の生命の意味を理解して尊厳ある死を迎えることのできる患者はむしろ稀で、ほとんどの患者は、「どうしようもない医師」の誘導下に、あるときは「自然崇拝」、あるときは「自己決定権という知性崇拝」の美名のもとに、しかし実質的には国や家族にとっての医療費節約のために、ちょっとばかり早めに死を迎えさせられてしまうのがオチだろうな、と思う。「管につながれて死ぬのは嫌だ」、「抗がん剤なんかでハゲたり吐いたりするのは嫌だ」、「がんと闘うな」、こういったフレーズが世間で流行っているが、実は政府が裏でそれを煽っているのではないか、とさえ思ってしまう。
その中島みちさんというのは、メラノーマを誤診した医師のせいで自分自身の姉を、肺がんを誤診した医師のせいで夫を、失った経験をもっている。彼女の著書には、早く仮眠をとりたいからという理由で患者のチューブを抜いた医師の例などがわんさか出てくる。
「尊厳死」に尊厳はあるか―ある呼吸器外し事件から (岩波新書)
まとめ。安楽死は安楽ではないし、尊厳死に尊厳はない。自分で自分の幸福や尊厳について考えないと、誰かにだまされ、利用されるだけだ。