ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 morior ergo sum

morior ergo sum 「われ死す、ゆえに我あり」
今日、血液検査の結果を病院で待つ間に読んだバタイユ『聖なる陰謀』のなかにあった一句だ。cogito ergo sum 「われ思う、ゆえに我あり」のパロディー。(幸い白血球は下がらなかったので、化学療法は続行されることになった。)

私は、生まれるとき頭も身体も自由に使えなかったし、私を取り巻いている世界など、なおさら思うようにできなかった。この世界からの好意は、始めから敵意よりもさらにおぞましいものに思われた〔…〕―――私が手にしているのは、ただ私の死だけである。私の死だけが無条件で私に属しており、それゆえに、ただそれゆえにこそ魅惑的で恐ろしいものとなった私の生存に、意味を与える。〔…〕
したがって、失われるのは私の生であり、私の死ではない。死ぬ時、私は消滅するのではない。むしろ私は自分の唯一の財産を消費する。ゆえに私の生存とは、始めから終わりまで喪失へ向けて、激しく、渇望し、魅惑されて向かう流れである。(『聖なる陰謀』p.63-64)

聖なる陰謀―アセファル資料集 (ちくま学芸文庫)