ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 ほとんど無に等しいこと

一匹の犬の死について
近親が病人に、子供が老人に、ある看病人が患者に、というふうにつくされるあの親切が私は好きだ。枕の位置を変えることは大したことではない。しかし、ほかにしてあげられることが何もない時には? 
人は自然に(神に、とは私は言わない)少しずつ寿命を縮めるという労をとってもらい、その上で可能な程度、すなわちほとんど無にも等しい程度で、自然に逆らうわけである。この<<ほとんど無にも等しいこと>>が私を感動させる。それが人間性の周辺である。(グルニエ『地中海の瞑想』より)

がんの標準治療を行うことで、統計上は5年生存率が3.7%上がるとする。だがその3.7%に入らない96.3%の人にとっては、効果がなかったか、それともすでにがんが無くなっていて無用な治療だった。また3.7%に入った人も、必ずしも完治したわけではなくて死亡時期が数ヶ月遅れるだけかもしれない。このようなことに対して、多額の医療費や多大な副作用を引き受けるのだから、費用対効果はけっして高くない。というか、不条理なレベルだ。
だからがん治療は無駄だ、製薬会社が儲かるだけだ、と言うのはたやすい。
また自分だけに画期的な効果が出て、自分だけは完治できる、と信じるのは愚かしい。
だが、治す側も、治される側も、それが<<ほとんど無に等しいこと>>と知りながらもあえて自らの意思で自然に逆らうなら、それには何か意味があるかもしれない。そもそも人間に「可能な程度」は<<ほとんど無に等しい程度>>なのだから。それが人間なんだから。


それを実感するのは、マンガ『ブラックジャックによろしく』の6巻から始まるすい臓がんの女性の話だ。何の知識もない普通の主婦が最後に治験としての化学療法を自ら選択する。それは彼女自身のためだからだ。
がんは薬や手術で治るようなものではない。がん治療の本質を知るにはこのマンガが一番優れていると思う。もちろん、ちょっと古いので副作用などは誇張されているけれど。なおこの漫画は著作権の問題のため、オンラインで無料で読めるので、ぜひご覧あれ。
https://bookstore.yahoo.co.jp/free_magazine-184583/

(今日は子供が部活動なので、急いで帰宅して晩御飯を作らなくて済む。久しぶりに職場でのんびりできたのでブログをアップしてみた)
地中海の瞑想 (1971年) (AL選書)