ergo sum

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 『ぼくを葬る』

ぼくを葬る [DVD]
[ネタバレあり] 
DVDを見た。フランソワ・オゾン監督は嫉妬や疑念といった、人間のつまらない感情をある種の信念をもって描き続ける人だ。『焼け石に水』を見たときは、なんだ、ただのゲイの痴話喧嘩じゃないか、と思ったのだが…
だが『ぼくを葬る』はよかった。がんで余命三ヶ月と診断された31歳の写真家が死に至るまでを描く。驚きから始まって、死の受容や、周囲の人間との和解が描かれるが、そういうありきたりな内面的成長、言い換えれば患者の美化や偉大化は、まったく意図されていない。原題は「残された時間」なので、ドラマチックな事件ではなくて、彼がどう過ごすか、いかに満足したか、が淡々と描かれていく。
主治医に向かって、「夢のなかであなたを犯しましたよ、ぜんぜんタイプじゃないのにね」と笑って言うところがかっこいい。

そして、浜辺での印象的な最後のシーン。
孤独な死のように見えるが、これっぽっちも孤独ではない。
人も元を正せばただの「モノ」であり、死んでしまえば本当のモノになる。
だから死ぬ直前だからといって他人との関係性に拘泥するのは無駄である。
そういう実もふたもない実感が肯定的に描かれる。


そして彼の肉体は美しく、モノとして光芒を放っている。このあたりには、男の肉体に寄せる監督の審美眼がたっぷりと反映されている。
彼は子供時代の自分に出会い、そのことが彼の人生を完結させた。
うん、こういうのもありだな、と思う。
恐怖や絶望に満ちた、世間の死に対するイメージこそが壮大な詐欺であり、フィクションであると思った。


最近元プロレスラーが乳がんにかかったとかで会見して大騒ぎで、非常に見苦しい
「右胸全摘した私は女でない」とわめき出し、記念のウェディングドレス撮影やら(なんのこっちゃ)、胸元はだけて胸帯見せびらかすやら、息子二人にはあの悪名高き「余命一ヶ月の花嫁」DVD見せるやら(なんで?)… 治療の始まる前からマスクにニット帽のフル装備で、「ガンといったらニット帽だろが」と言わんばかり。あげくのはてはステージIIbなのに5年後生存率50%などと詐欺まがいの数字を公言し、日本乳癌学会までが「学会より市民の皆様へ」という異例のコメントを出して扇動されないよう警告する騒ぎになった。映画の主人公と、このバカ女が対照的だった。
頼むから一人で静かに逝けよ、ほかの乳がん患者に迷惑だよ、と思った。