ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

謎の上昇

 

ここ数年ゆるやかにCEAが上昇していたのだが(加齢のせいかと)、半年前くらいから急上昇し始めたので驚いた。臓器特異性が乏しいマーカーなので、念のため胃や大腸の内視鏡や、腹部エコーなども調べたが問題がなく、PET-CTも取ったが幸いにも何もなかった(ご協力くださった先生に感謝!)。一年後にでも検査しようかと思っている。

私は心配性なので論文を探して、良性でもCEA高値になるケースを探してみた。肝炎とか大腸炎も違うし、肺炎や気管支炎も違うし、腎不全もないし、子宮内膜症も多分ないし、甲状腺機能低下症でもない。少しだけ肺の繊維化があるので、そのせいだろうか。

(似たようなケースとしては、鹿田・横山「乳がん術後に高CEA血症を呈した器質化肺炎の一例」で、この患者さんはCEAが40まで上昇し、再発かと思われたが肺炎だった、という結論)

2021年5月頃に一度だけ下がっているので、この段階で主治医は「悪性なら上がり続けるはずなので、大丈夫です」と言って検査は打ち止めになったが、その後急上昇を続けているので、グラフにすると我ながら怖くなる。もし悪性のものがぐんぐん育っていたら…

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グラフ


ふと、気づいたことがある。急上昇し始めた7月末と8月に〇くちんを打っている。もしや関係があるのでは?

ここから先は、あくまで個人の勝手な憶測で、何の医学的根拠もないことを断っておきたい。用語も不正確だと思う。

私は陰謀論などは信じないので、善良な市民として、コロナを移さない・移されないために何も考えずに打った。だがよくよく調べてみると危なっかしい薬だ。

一時的な副作用があるとか、武漢タイプのウイルス用なのだからオミクロンに効かないという話だけでない。

「高リスク群の高齢者を重症化から守る」効果があるのは確かだが、それは免疫反応を抑える働きをもつ制御性T細胞(Treg細胞)を誘導して増やすからだ(こちらなど参照)。

だが逆に自然免疫を抑制する可能性があるので、かえって接種者の方が新株に感染しやすかったり、他の感染症にもかかりやすくなる(息子も首のリンパが突然脹れたりしている)。それをVAIDSと言い(こちら参照)、HIVと似たような免疫不全になるらしい。

十分な治験もなく承認された、金儲けのために急いで作られた〇くちんだが、発想は西洋医学の対症療法的なもので、ステロイドに似ていると思った。あれも病気を根本から治すのでなく、「激しい症状を抑える」ことだけが目的だ。しかしステロイドは既にある病気のための道具なのに、〇くちんはまだ罹ってすらいない病気のために大多数の人が強制的に打たされる。

何より怖いのは、普段は免疫に抑えられているがんが増殖を始める可能性があることで、このようなサイトもあり、荒川先生は「すでに癌を患っている人はコロナ〇くちんによる癌の悪性化を警戒する必要があるでしょう」と書かれている。また小児がんの患者への〇くちん接種は要注意とされているのに大人は大丈夫なのか。こちらも。

調べてみると突然増殖するケースや、健康な人が突然末期がんとして発見されるケースもあるようだ。がんに先駆けて生じやすいとされる帯状疱疹も増えている。

日本は何十兆円もかけて薬を買わされたので、3回目どころか4回目、5回目、n回目と接種を繰り返すことだろうが、EU当局(EMA)はブースター接種の繰り返しは免疫反応が低下すると警告している。

というわけで、私は3回目の接種はやめようと思っている。死ぬかもしれないから。

なお、言論統制といえば外国の話だと思っていたが、実は国からのTwitterの削除要請が一番多いのは日本だそうで、今回も反〇くちん系の情報は通常の検索ではヒットしない。代わりにDuckDuckGoなどを使う必要がある。鹿先生JPSikaDoctorや、トリビアオタクさんの、Youtubeの動画も見づらくなっている。ここはけっこう怖い国なんだな。しかも他の国のような反対デモすらなく、みんなが従順に国の言いなりになっている。

農薬のことも添加物のこともそうだが、リテラシーがないと生き残れない時代になってきた。

 

そういえば呼吸器の大好きな主治医との対話を思い出す。

私「早めに〇くちんを打ったりした方がいいですか」

先生「いやあ、よくわからないあやしい外国の〇くちんを打たれたりしたら大変だから。僕はね、コロナは集団免疫などで自然に弱くなっていくと思うから心配ないよ」

・・・その「あやしい外国の〇くちん」というのが、国民全体が打っているあの〇くちんだったんだな、と腑に落ちた。

 

 

 

謹賀新年と虫たち

新年おめでとうございます。

コロナに振り回された一年でしたが、病気との共存は、人体が細菌と共存するのと同じことで、必要以上に色をつけたり敵対せず、粛々と生活すればよいのかなと感じています。

みなさまのご健康やお仕事の充実をお祈りしています。

 

ブログも休止状態で申し訳ありません。こちらは自由で快適な毎日を過ごしています。

ちょっと値の張る椅子を買ったり、好きな場所に調味料の瓶を置いたりと、自分の望むように環境を整えることが楽しいというか、「自分て整えていいんだ」という確信そのものが新鮮です。

これまでは状況に流されてきた、というか家族のいることや子供の小さいことを言い訳にして思考を停止してきたのですね。

部屋が散らかっても仕方ない。

貰い物の鍋が使いにくいけれども仕方ない。

マグカップが大きすぎて飲みづらいけど仕方ない。

・・・けれども深層心理ではそれは「居心地の悪い」ことで、それが体内では小さな炎症を起こし続けていた感じです。

大きなトラブルになる前に変えることが、実はすごく大切で、これは金融投資でいう「損切り」です(危ない配偶者も「損切り理論」か上野千鶴子の「腐ったリンゴ」で考えると躊躇せずに済みます)。

ところが人間にはホメオスタシス(現状維持機能)が強烈に働くので、なかなか変えられないのですよね。

変えるのはそんなに難しいことではなくて、実は「一歩踏み出す」かどうかなのですね。

 

環境を変えるもうひとつの秘訣は、感覚に敏感になることでしょうか。

部屋が散らかっていたので、歩き方も腰を曲げた老人歩きでしたが、あ、足首を使っていない、外側重心になっている、視線が落ちている、そんなことに気づくようになると正しい姿勢に戻せるようになりました。

環境構築と身体感覚と精神的な思考、全部つながっているように思います。

 

ブログっぽいトピックとしては、某社の「虫がガンを発見してくれる検査」を受けてみました。

尿提出だけで負担がなく、12500円なので遊び半分です。判定は一番健康なA。

本当かな、と思いつつ、「自分はシロ(大丈夫)だ」と思い込むきっかけにはなるので、嬉しく拝受しました。

その後この検査、週刊誌などが取り上げて批判しましたので、実はかなり怪しい可能性もあります。

虫そのものが顕著に反応しないのか、ちょっとだけ反応するけど観察者の誤差の範囲内なのか、しかも商業化するために企業側が操作しているのか。

疑念のきっかけは、週刊誌報道を受けて会社が出した声明のなかに、(うろ覚えの文言ですが)「特定の病院が全員がん患者の検体を送ってくることがあったので、検査の割合に影響し、たいへん迷惑した」という内容があったことです。

がん患者が何%含まれようと、虫たちが淡々と判定するだけなのだから、何も迷惑することはないはずです。

もしかしたら企業側が、がん判定は「1/10にしよう」などと決めて操作していたのかな、と思ってしまいました。

報告書には「(あなたの検体で)何回も検査した」とありますが、何回なのか記載はなく、また擬陽性や偽陰性の割合等の説明も皆無でした。

以前アミノインデックスを受けたときは、肺と膵臓がB判定でそれなりに現実に近い結果でしたし、詳細な統計的な数字が示されていたので、それとは大違いです。

 

私は虫検査A判定なので気分よく過ごして、それによって健康になるからいいものの、もし人為的操作(またはいいかげんな判定)で「可能性あり」と判定されてしまった人は、精神的なショックや多数の検査受診の負担がのしかかり、大変迷惑なことと思います。

 

先日何かの動画で見たのは、がん治療後の定期健診で毎年一回CTを浴び続けると、他のがんの発症率が8%ずつ上がるという外国の論文で、信憑性はわかりませんが、やはりCTは控えめにして、代わりに内視鏡やエコーなどを活用しようと思った次第です。

「自国民は食べない」アメリカ産小麦とパン生活の危険

toyokeizai.net

 

この記事はぜひシェアしておきたかった。ご覧いただきたい。

政治的な力関係のせいで、日本はアメリカ人すら食べない大量の農薬を直接散布した危険小麦を大量に輸入させられている。発がん性がある農薬グリホサートを、しかも、雑草にではなくて、小麦に直接かけている。それが日常的に私たちが食べるパンだ。「国産小麦粉」とうたっていない限りは、原則としてその危険な小麦粉を食べている。

経験則として乳がん患者は朝食にトーストを食べる人が多いが、それがどれほど危険なことかわかっているのだろうか。自分なりにまとめておきたいと思った。

 農薬と遺伝子組み換えによって小麦粉という素材自体が危険なだけでなくて、パンは血糖値を上げる食品の代表格だから、たとえ糖尿病ではないとしても、毎食ごとの血糖値スパイラルがインシュリンの大量分泌を招いて体を傷つけ、ひいては発がんにつながる。(血糖値を上げないようにするには、通俗的に言われている「野菜を先に食べる」よりも「タンパク質と良質の油を取る」ことの方が効果的らしい)

またグルテンは、腸に穴が開いて異物が血管に漏れ出して全身に炎症を起こすリーキガット症候群や遅延性アレルギーを引き起こす。鼻炎などの原因不明の不調はこれが原因である場合が多い。

市販のパンには米国製小麦粉のほかに、さらに危ない添加物が使われている。イーストフードやマーガリン、ショートニングなど、トランス脂肪酸がたっぷり含まれている。欧米ではトランス脂肪酸はすでに「禁止」されているのに、日本では当たり前のように使われている。

さらにヤマザキパンは、発がん性が確認されてEU等では禁止されている臭素酸カリウムを堂々と使っている。

そのパンに、万が一マーガリンを塗っていたりしたら、「恥の上塗り」ならぬ「トランス脂肪酸の上塗り」になって恐ろしいことこの上ない。ジャムを塗ったら塗ったで糖分を付加することになるので、血糖値スパイラルをますます激しくする。

しかも、カリっと焼いたトーストで食べる場合は発がん性や神経毒性をもったアクリルアミドが発生する。フライドポテトとかクッキーに多い、あれね。

朝食だけでなくて、出先でも菓子パンを食べるだろうが、もちろんこれらもパンとしては超危険なランクに入る。手を変え品を変え販売されるおいしそうな菓子パンの誘惑に打ち勝つことは簡単ではない。儲かれば国民の健康をリスクにさらしても平気なコンビニ戦略が菓子パンを援護射撃する。

こうして食べ続けていると、小麦粉は、酒やたばこと同様に中毒性があるので、パンが止められなくなって、少しでもストレスがかかると爆食いする習慣が身についてしまう。

さらに小麦粉が認知症の原因という説があるので、こんな生活を数十年続ければ、がんや認知症にまっしぐらだ。

 

・・・オーガニックの野菜や減塩醤油にはこだわるのに、パンには無頓着なのは本末転倒だ。

なぜだろう。

国やメーカーが不都合な事実を隠しているから。

国民をパン中毒にしてマッチポンプ式に儲けたい人たちがいるから。

スーパーやコンビニに大量に置かれていて、「みんな買っている」から大丈夫だと思い込んでいるから。

赤信号もみんなで渡れば怖くない日本人だから。

発がん率が他国と比べて日本だけが上がっているのも、こういうところに原因があると思う。お米や和食の豊かな食文化があるのに、どうしてアメリカや大企業に搾取され、健康を害さないといけないのだろう。

 

私個人の考え方だが、日本では各ジャンルの食品メーカーの最大大手が一番危ない。「みんなが食べているから」自動的に売れるので、添加物を入れ放題だ。

スーパーに行くときにその都度原材料表をチェックするのも手間がかかるので、私はとりあえずヤマザキパンと明治の製品は買わないことにしている。

国や大企業が国民の健康なんかこれっぽっちも考えていないことは、今回のコロナ騒動でわかったと思う。コロナの感染だけでなくて、日常も自分で防衛しないととんでもないことになる。

・・・と、実は結構パン好きな私が私を戒めるために、そしてほかに人にも知ってもらいたくて、まとめてみた。

 

8/28付記:さらに小麦粉はうつ病系の原因という説もあるので、メンタルやられている方は特に注意です。

ワクチンと病院卒業

先日コロナワクチンの一回目を受けてきた。

市から接種券が来てすぐに申し込んだのだが、その後7/8には自治体への供給量が減って予約はストップしたので、ぎりぎりのところだった。また息子も大学で一斉接種を受けることができたのでちょうど同じタイミングだった。当日は筋肉痛で、Tシャツの着脱が少し面倒だったが、それ以外の副作用は何もない。都市部に住んでいて感染増が顕著だったので、これで重症化はしにくくなると思ったら、ずいぶん気が楽になった。

(おまけ。義妹が、例によって、ワクチン陰謀説にどっぷりはまり、わざわざ私に電話をかけてきて、ワクチンを受けてはいけない!と強く主張していた。)

あわせて通院状況を書いておくと、この6月に初めて「次回予約」が不要になり、解放された。これまで定期的に年に1,2回CTを取ったり、血液検査をしたりしていたのだが、その都度よくわからない陰影があったり、マーカーが微上昇するなど、マイナーな「謎」が続いてなかなか解放されなかった。陰影も肺かと思ったら膵臓だったり、この前は子宮だったりと、場所がいろいろで、再検査するとほとんどが異常なしだ。直近では3月の検診でマーカーのCEAが基準値を超えたので、4月、5月と継続的に測ったら微増していたので心配したのだが、6月には下がったので、先生が、もうこれでいいでしょう、と卒業させてくれたのだ。CEAのなだらかな上昇は加齢のせいだと考えることにしよう。

乳がんから15年、肺がんから9年、ずいぶん長かった。

「今後は検診センターのようなところで見てもらうといいですよ」と言われた。個人的には引き続き今の病院で診てもらった方が保険適応なので経済的に助かるし、病院でない検診センターでは質の心配があって不安な気がした。それを見透かすように、先生は言われた、「いや、ああいうところはもし見落としや誤診があれば訴訟になって信用低下になりますからね、しっかり見てくれるんですよ。それともうひとつ、これまで言ってなかったけれど、病院でのCTは検診のCTよりも被ばく量が多いんです。だからセンターで定期的に胸部・腹部CTとマーカーを取っていけばよい」。

なるほど、そうなのか。保険が効くからといって漫然と病院でCTを取り続けるのはよくないのだなとわかった。そういうことを言ってくれる先生は、本当にありがたい。また、病院では呼吸器外科に特化した検査しかできないが、センターであればさまざまな可能性(つまりCEAが上がる可能性のある「腺」部分全部、胃とか大腸とか膵臓とか)を探ることができる。そこで大きな検診専門のセンターを調べてみたら、確かにある。日帰りの人間ドックで5,6万円かかるけれど、オプションでCTやマーカーを加えたりできる。

さてと。現在の職場が提携している検診センターもいくつかあるので、そこにすれば実質自己負担2万円で人間ドックが受けられる。喜んで申し込みかけたのだが、よく読むと、職場の健康診断に代えて提携センターで人間ドックを受ける場合は結果が職場に送られるらしい。すると・・・万が一CTに影があったり、マーカーが基準値以上だったら――というか「万が一」ではなくて蓋然性がすでに高いのだが――、職場に情報が行ってしまい、産業医の面談などが入るのだろうか。これは困る。

以前心電図がちょっと変だったときに、循環器科に行って結果報告をするよう強く求められた。うちの職場はたいへんうるさい。こういうのは、報告を拒むこともできるのだろうか?

かといって毎年の職場でやる一般検診だけでは心もとない。X線なんかとっても、ほとんど意味がないだろう。どうしよう。全額自費で人間ドックを受けるしかないのか。

実は来年度は長期海外出張を予定している。そのためにも、事前にワクチンや検診をしっかり受けておきたかったのだ。職場に中途半端な医療情報が知られると、最悪出張取り止めになるかもしれない、それはいやだ!

現在考え中だが、それでも、とりあえず病院卒業とワクチン接種でだいぶ気が楽になったのは確かだ。

みなさまの状況はいかがでしょう。それぞれの環境でご不自由やご心配があると思いますが、早く落ち着いた状況になりますように。

やっと解放です

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健康と関係があるようなないようなトピックですが、ようやく夫との離婚が成立しました(いや、やっぱり大いに関係があるはず)。このかんストレスなどでブログ書き込みがだいぶ止まってしまい、申し訳なく思っていたのですが、これで気持ちよく再スタートがきれます。

夫との関係がどんな雰囲気だったのか、書こうと思っても、うまく書けなかったり、つらくなったりしていたのですが、別の方のマンガですが下記をご覧ください。似ているというよりは、完全にうちと一緒です、とくに子供が生まれたあたりは。

「Uさんと出会って、シングルマザーになった話」

https://woman.excite.co.jp/article/comic_essay/child/S1611357409219/

 

アスペ夫の怖さは、外から見てもわからず、むしろ子煩悩に見えることです。

「二人でも一人」とよく言われるとおり、妻が完全に夫の世界に同化して、話を合わせていれば円満なのですが、すこしでもはみ出ると存在自体を無視されます。議論も通じないので、だんだん妻の人格が破壊されます。私はそんな感じでした。

なお、支えてくれた親族や友人たちには心から感謝です。

それから、旦那デスノートを読むのが、けっこう励みになってました(笑)。

上の写真は、いつも隣を通っていたのに、立ち寄る余裕のなかった公園に、うっすらと桜が咲いていました。曇天の夕方でしたが美しく、よく見ると鳥がとまっています。

新年おめでとうございます

新年おめでとうございます。

昨年はみなさまそれぞれが苦労を重ねられた一年だったと思います。

本当にお疲れ様でした。

こうして無事に年を越せましたことに、まずは感謝申し上げます。

そしてみなさまが健康にこの一年を過ごされますように。

 

ブログの更新がすっかり止まってしまいました。

ごめんなさい。みなさまはお変わりないでしょうか。

 

今年の目標は「状況に依存しない」です。

人や嗜好品や買い物への依存はよくある話ですが、状況そのものへの依存も多分にあることに気づきました。

「病気」だと言われると、頭の中がそれだけになる。

子供の受験となると、それがすべてになってしまう。

職場に不正があると、そのことばかりを考える。

コロナが流行ると、ひたすら感染のことを心配する。

・・・こういうのは悪い「癖」なのだということに気づくと、少し楽になります。

はまってしまった「何か」は、自力ではどうしようもない過去や未来についての無駄な妄想であり、実際にはもっと多様な日常が周囲にあることに気づき、それを味わい、大切にする。

 

あるがんのブロガーさんが、「みんなどうして幸せのハードルを上げたがるのかなあ」と呟いておられました。

確かに、「結婚して子供を二人もうけてマイホームを買ってバーベキューをして元気に80歳まで生きる」のがあたかも幸福であるかのように思いこまされている現代ですが、実は、自分の口から水が飲めること、きちんと排泄できること、自分の足で立って歩けること・・・それだけでもすごく幸福なことだと思います(たまたまALSの方と知り合う機会があったことも影響しています)。

ただ、マイホーム的な幸福が高度な幸福で、自力で水が飲めることが低級な幸福だとは思いません。

むしろ逆で、日常のひとつひとつの幸福に気づくには、常に鋭敏に認知し、その意味を考え、心身にとっての心地よさを体感する必要があるので、むしろこの方が高度な幸福なのだろうと思います。

それさえマスターすれば、日常の時間は幸福に溢れているはずです。

その鍛錬をしたいと思います。

 

以前ブログに、私の無意識は極めてネガティヴで、悪いことばかりを想像する癖があることを書きました。

しかし無意識というのは、生来の性格によるのではなくて、環境の産物なので、実は環境を変えさえすれば無意識が良いものになるのですよね。

風呂場やトイレの掃除をすると気持ちがすっきりして、心にゆとりができるのが一例です。

ところが人間は恒常性機能が働いてしまい、何も変えずにそのままでいることが一番居心地がよいのです。

そうした何十年という凝り固まった習慣や無作為がカオスな環境を作り出してしまい、絶望的かつ思考停止になっている現状でした。

ちょっとずつ、自分の部屋から掃除を始めています。

昨日は机周りのPCの配置を変えたら、目の前にあった余計な配線コードや雑多な紙切れがなくなって、驚くほど仕事に集中できる環境になりました。

こういうことをやっていきたいなと思っています。

 

もっと些末な例では、ハンガーです。

洋服を干すハンガーは、引っ越してクリーニング屋が変わる度に色や形状が変わり、本数も増え、しかも丈夫なので壊れて廃棄することもなく、50本近く洗面所に転がっていました。「まだ使えるし、もったいないから」と思って放置していましたが、実はピンクや黄色の蛍光色のハンガーが私の視野を乱していたこと、ぼろぼろの針金ハンガーが毎回指に突き刺さりそうでストレスだったこと、そんなことに気づいたので、思い切って廃棄しました。

貧乏性過ぎて笑われそうな話ですが、私にとっては大きな自己変革です。入れ替えて新陳代謝することで、空間の流れが起きる。

ああ、肉体と同じだと思いました。

排泄をしないで溜め込み続けると、絶対によくないことが起きる。

だから「気」か「液体」かわかりませんが、「流れ」をよくしたい。

今は、環境を自分用にカスタマイズすることが、一種の趣味になっています。

子供が小さかったり、家族がいたりすると思うようにならないので諦めの境地だったのですが、もう一度、自分が落ち着く環境を整えたいと思っています。

理想は、外資系ホテルの部屋並みのシンプルさです。

心の中も。

サメの群れのなかで泳ぐときは血を流していないときに

三つ編み

 

レティシア・コロンバニ『みつあみ』を読んだ。インドの不可触民のシングルマザー、イタリアの町工場を受け継いだ女性、カナダのシングルマザーの女性弁護士という、困窮のなかにある三人の女性の自立の物語で、最後に三人の人生がつながるので、「みつあみ」というタイトルになっている。フランスではたくさんの文学賞をとって話題になったらしい。

いずれも突然の人生の岐路に立たされる三人の物語だが、一番興味をそそられたのが弁護士だ。サラは敏腕弁護士のワーキングウーマンだが突然乳がんの宣告を受ける。同僚に隠して治療するつもりだったが、ライバルに気づかれて暴露され、仕事を奪われてしまう。

 

まるであやまちの現場を押さえられたように、この若手を前にびくついているのが、ふいに愚かしくなる。癌なのは犯罪ではない。それに、イネスに弁解すべきことは何もなく、彼女にも、誰に対しても負い目はない。〔…〕イネスはこの情報をどうするだろう?暴露するか?サラは引き返し、廊下のイネスに追いついて、何も言わないでと懇願したくなる。だが我慢する。そんなことをすれば、自分の弱さを認め、イネスを優位に立たせ、力をもたせるようなものだ。〔…〕

忘れていることがひとつだけ、とはいえそれは長年キャリアを積んで学んだことだーーサメの群れのなかで泳ぐときは、血を流していないにかぎる。〔…〕

ガラスの天井を打ち破った彼女がいま、健康な者とそうでない者、病人、弱者、もろい者を隔てる見えない壁にぶちあたり、弱者の側にいる。ジョンソンとその一味に、葬られつつある。墓穴に投げ込まれ、山盛りの微笑みをかけられ、しらじらしい同情で突き固められ、ゆっくりと埋められていく。職業上、死んでいる。

 

 私も職場の同僚(女)に乳がんのことをばらされて、いやがらせを受けたので、全く同じだった。サメの群れのなかで泳ぐときは血を流していないときに・・・は言い得て妙だ。それにしても、こういう観点からのキャリアウーマンの罹患が日本ではほとんど語れないのはなぜだろう。病の恐怖と、脱毛の恐怖(ここが山場ね)、家族愛、そして健康のためのとめどもない消費、というお決まりの観点しか描かれない。

そういえば、病気になったときに自分を責めがちになるのは、日本人独特の罪悪感なのか、弱者ゆえの劣等感なのか、と以前から考えていたが、先日「公正世界仮説」という説に出会った。世界は信賞必罰で、正しい者は勝ち、間違った者は負ける。よい事をすれば報われ、悪いことをすれば罰を受ける。だとするならば、大きな病になった者は悪いことをしたに違いない・・・だから、自分自身の中に原因を探してしまう。生活が乱れていたせいだとか、発症のころストレスがあったせいだとか。だがそういう姿勢は自分で自分を傷つけ、自分を被差別者に追い込むので、やめた方がいい。