ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

自粛疲れに…

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前回のブログで、コロナなんて騒ぎすぎだと書いたのだが、あれよあれよというまに事態は深刻化し、明日には緊急事態宣言の一ヶ月の延長が発表される見込みである。

まずは大変なストレス中で仕事されている医療従事者の皆さんに深甚な感謝を捧げたい。

 

 

自宅待機になり、仕事もオンライン会議になってしまい、慣れないPC設定に苦労している。モニター上に自分の姿が映ると、左右の傾きや姿勢の悪さや視線の落ち着きのなさがとても気になってしまう。これが事実であり、これまで目を伏せていたものだ。

一方で、たまの買い物で近所に出ると、アスファルトの隙間からたくましく生えている雑草や、誰が植えたか群生して風になびくオレンジの芥子花が妙に輝いて見えて、癒される。

 

 

物事への認識が変わってきたかもしれない。つまりは自分も一個の生物にすぎず、呼吸して排泄して代謝するだけの何かだ。文明社会の中にあって社会的地位を占めていることには何の意味もない。正体不明のなんとかウイルスに負けるかもしれないし、明日はもういないかもしれない。気づかないうちに免疫が勝利して、また退屈を嘆く毎日に戻っているかもしれない。

 

 

それにしても、自粛に疲れた。人々を励まそうと歌手がリレーで勇気ソングをアップしていて、それはそれで良いのだが、一方で、政治的発言を始めた歌手に対して「お前らは歌って踊って、俺たちを楽しませていればそれでいいんだ」といった偏見めいた声が寄せられることもある。妙に道徳くさい風潮になっているのは不愉快だが、今回は全ての人が当事者なのだから全ての人が政治や社会について考え直すべき機会だと思う。少なくとも、思考停止して、あの馬鹿な首相たちにずっと政治を任せていたことは反省すべきだと思う。科学的に数字を出すことをせず、「みんな我慢しているんだから我慢しましょう」という戦時中の論理で人々を巻き込み、どさくさに紛れて内閣の権限を強化したり憲法改正したりする、あの人たちは、たしかにすごく馬鹿だが、すごく怖い存在でもあるのだ。

 

 

で、自粛疲れの正体だが、頑張りすぎのせいだと思う。

たまには凝った料理を、と思って主婦はみんな手作り餃子やバナナケーキを焼き始めるが、それにも疲れた頃だ。

なのに九州の自治体かどこかがポスターで、ステイホームで「お父さんはゆっくり読書、お母さんはたまには手の込んだ料理をしましょう」なんてアピールするから炎上することになる。

普段の料理は手抜きだと言ってるんか、ワレ?

なんでお父さんだけ家事をしないでまったり教養高めとるんや?

「ご飯まだ?」と夫や子供に言われただけでむかつくのに、

まして「手の込んだ料理作れ」と自治体に命じられたら、そりゃ主婦はキレるだろうよ。

 

 

ずっと家にいるので普段できないことができて良いね、と思ったのも最初だけだ。

思いっきりゲームができると思ったが、時間の全てを投下してやり込み出すと、すべてのイベントをクリアしてすべてのアイテムをゲットせねばなくなる。

パズルものも最終レベルを攻略しなければいけなくなる。

こうしてゲームが義務化してしまい、苦痛になる。

娯楽がなくなってしまう。

 

 

というわけで、自粛疲れにお勧めなのがこの動画だ。

一緒に叫んでみよう!

https://m.youtube.com/watch?v=vO4oYfIRqus&feature=youtu.be

 

 

 

 

ただの風邪

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(写真は龍王峡。エメラルドグリーンの川面が美しかった)

 

 

「コロナって、ただの風邪だよ。風邪ってのは、いろんな雑菌の集合だから」

そうつぶやいてから、息子はゲームセンターに遊びに行ってしまった。

この時勢にゲーセンに行くのはどうかと思うが、言っていることには同感した。

 

 

そもそも体外から侵入する可能性のあるウィルスなど、何万(?)種類とあるに違いない。

そのうちの一つが入るか入らないかで大騒ぎするのは大局的に見て馬鹿らしい。

仮に入ったとしても、他の何万種類とあるウィルスや菌たちと、もちつもたれつ、あるいは切磋琢磨したり喧嘩したりしながら、適当に生き延びたり、適当に消滅したりするだろう。

それだけのことだ。

万が一、そのコロナウィルスのせいで重篤化して死んだとしても、それは宝くじにあたるようなわずかな確率だと思う。

それよりも、不摂生や食習慣のせいで体内環境を悪くして、体内の細胞がグレる、つまり炎症が慢性化したりがん化したりすることの方が私には恐ろしい。

だからコロナに過剰反応してストレスをためたり、免疫を下げたりするのは百害あって一利なしだ。

さらには情報を活用しているつもりが情報に踊らされて、寒空の中を何時間も行列してマスクやトイレットペーパーの買いだめに向かうなど、もってのほかだ(とはいえ、トイレットペーパーが切れる恐怖は理解できる)。

 

 

人間はたくさんの細菌と共存してるんだ、とsinkoさんが昔教えてくださったが、大半の人は、自分は菌ひとつない「白」で、一方感染者は「黒」だと勝手に思い込んでいる。白から黒に移行するのが嫌だから必死になって防衛しているらしいが、そもそもあんた、白じゃないから。それから「黒」の極悪なイメージも、あんたが勝手に作ったもんだから。

はじまりの神社

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あけましておめでとうございます。
昨年度はあまり更新ができず、水中でもがいていましたが、今年は浮上したいと思っています。
健康にかんしては、検査のたびに相変わらずよくわからないデータが出てきますが、感覚的にはとても元気で、頻繁に運動するようになりました。体感こそが大事だなと思っています。
ここまで来れたのも、みなさまの智恵や厚意に助けられたからです。
深く感謝申し上げています。


昨年には三峯神社に行ったのをきっかけに、なんとなく出張の旅に神社仏閣めぐりをするようになりました。
大阪出張の際に立ち寄ったのが、「はじまりの神社」「やりなおし神社」と呼ばれている姫嶋神社です。
阿迦留姫命が夫から逃れて再出発したことに因んだ「はじまりの碑」というのがあり、この穴に断ち玉を投げる風習があるそうです。日本武尊のような時代にも、DVとかパワハラがあったんだなあ、としみじみ。でも舟に乗って逃げ出す姿は颯爽としていてかっこいい。(ただし、恥ずかしかったのと、運動神経の悪い私はシュートできなかったら縁起が悪いかも・・・などと考えたために投げることはできませんでした)。

今後の旅立ちの順風満帆を祈って、絵馬代わりにホタテの貝殻を奉げるんですね。写真にもたくさん写っています。
「いっちょ商売出直したるでえ、神様見とってください」といった大阪商人のおっちゃんのメッセージなんかが書いてあって、励まされました。
きっとおっちゃんは商売で失敗したんやなあ。
でもここに気持ちを籠めてやり直そうとしている。
そういう真剣さや集中力って、絶対に人を生かします。

『「糖質過剰」症候群』

 

「糖質過剰」症候群 あらゆる病に共通する原因 (光文社新書)

「糖質過剰」症候群 あらゆる病に共通する原因 (光文社新書)

 

 

帯からわかるように、この本の趣旨は、糖質過剰は万病の元だということだ。

私にとって面白かったポイントを列挙しておく。個人の覚書なので、正確ではないかもしれないが。

・継続的な高血糖→インシュリン抵抗性がアップ→細胞にダメージ

・脂質を取るから脂肪がつくのではない。脂質と糖質を同時に取るからインシュリンが出て、脂質が脂肪に変えられる。

・糖化→凝固系のフィブリノゲンが増加→血栓ができやすくなる

・乳糖吸収不良よりも果糖吸収不良の方が多い(1:2くらい)。上限を超えて果糖を摂取するとガスが発生し、上にいけば逆流性食道炎に、下にいけば過敏性腸症候群に。その他お腹の張りや不調も糖質のせいであることが多い。(うちはこの体質)

・NASH(非アルコール性脂肪肝)の原因も糖化。NASHは女性乳がんのリスクを2倍に。脂肪肝があると脳の萎縮が進んでいる可能性も高い。原因が同じだから。

・筋トレ後はたんぱく質のみ摂取した場合が一番筋肉が増える。炭水化物を加えると筋肉の増加が減じる。(「運動したぞ~」と思ってごはんをいっぱい食べると逆効果)

・アメリカのがんの40%は過体重や肥満関連のもの。感染系のがん(胃がん、子宮頸がんなど)においても、感染だけでは発症しないが、高血糖が続くと発生しやすくなる。

・IGF受容体(+)では乳がん発症リスクは1.7倍

 糖質摂取量の維持or増加はリスク2倍

 IGF受容体(+)かつ糖質摂取はリスク5.5倍

・糖質は依存物質(はい。お菓子がやめられない私です・・・)

 

真冬のような寒さの一日でしたが、みなさまどうぞ風邪にお気をつけてください。

たとえようもない光となり

 

言葉や祈願をくりかえし唱えると
自分を催眠にかけ
自分を閉ざし
自分を破壊することになります
孤立している思考は
すでに知られているものを超えることはありません
祈りに対する答えも
すでに知られているものからやってくる反応にすぎません

瞑想はそのようなものから
かけ離れたところにあります
その領域には
思考が立ち入ることができません
そこには いっさいの分離がなく
したがって
自己という感覚はありません
瞑想は開かれた場のなかでおこります

***
あなたは一度でも瞑想したことがあるでしょうか
あらゆるものから離れ
あらゆるひとから離れ
あらゆる思考や追求から離れて
自分だけで 独りきりになったことがあるでしょうか
孤立するのではなく
夢想や幻想にふけるのでもなく
ただ離れていき
自分自身のなかから
認識できるものが すっかりなくなり
思考や感情によってふれられるものがなくなるほど
完全にひとりきりになったことがあるでしょうか
すっかり離れていくと
まったくの独りきりになり
そのなかで静寂そのものが
たとえようもない花となり
たとえようもない光となり
思考では測ることのできない 時のないものになります(『瞑想』)

 


すっかり更新が止まってしまって申し訳ありませんでした。
心と体のバランスがうまくいかない感じでした。
クリシュナムルティの説く瞑想論はすごく説得力があります。
彼は「思考」を否定するのですね。
たしかに私は毎日、同じこと、しかもネガティヴで無駄なことを、えんえんと考えてしまう。
仏教でいうと煩悩に相当する。
そういうものがなくなった境地に達したい。
しかしそれは、宗教的な悟りとか哲学的な思索とは違って、上記のような、
日常の中に自分で作ることのできる、ほっこりした感覚世界なのだなあ・・・

 

 

 

瞑想

瞑想

 

 

無意識がネガティブだった

先日NHKで、スイスに渡って安楽死した方の番組をやっていて(死の瞬間も撮影していた)、いろいろと感じるところがあった。多系統萎縮症(ALSのような筋肉の萎縮のほか、自律神経も動かなくなる)で苦労されたその方自身のブログも拝読した。感想を文章にしてみたのだが、単純にがんと比較してもよいものなのか、もやもやしてしまい、結局アップできずにいる。日本の法制度の遅れや、安楽死にかかわる議論などをまっとうに論じるだけの気力はまだない。日々を送るだけで精一杯だ。(だが、別の方が書かれているように、あの番組の作り方では、視聴者の誰もが、ちょうどリンツのおいしいチョコレートをお取り寄せするのと同じ感覚で、「さすがスイスねえ!私もスイスに行って安楽死しよう~」となるのは目に見えている。私もそう思ったもの。)


とはいうものの、おかげさまで5月までの不調はだいぶよくなった。
私の不調というのは、常に無意識がネガティヴモードであることに起因すると気がついた。
表層的な思考は、たぶん普通だし、仕事ではむしろ楽観的である。
しかし、帰宅して鍵を開けるとき、「あれ、鍵がない?」といつも緊張する。
レジで支払うとき、必ず「あれ、小銭がみつからない、店員が待っている、早くしなければ」と焦る。
横断歩道を渡るときは、青であっても「もうすぐ点灯するかもしれないから急がねば」と思っていつも走る。
明日地震が起きるかもしれないのに水のストックが不十分だと考えて心配になる。
トイレットペーパーがなくなったら困る、と思って必要以上に買いだめしてしまう。
もちろん日本沈没とか隕石落下とか富士山噴火とか宇宙人の侵略とか、そんなことも考える。


人目があろうがなかろうが、何かネガティヴなことを予想して生きるのが習慣になっていて、そのためにいつも落ち着かない。
多分脈拍も速くて自律神経が興奮ぎみなので、休まる暇がない。
いつごろからそうなったのかわからないが、多分10年、20年も前からだろう。
そんな無意識が習慣化したところに、「The 不幸」であるような病気とか家庭の問題が生じたら、無意識界は「待ってました!」と言わんばかりにネガティヴ砲を炸裂させるに違いない。
それにやられていたのだということに気がついた。
自分で自分にかけた呪い、ということもできる。


しかし現実は、自分が捕らえるほどひどくない。
ここまで徹底してネガティヴに徹することができる自分というのは、あそこまで徹底してポジティヴ思考を磨き上げているイチローのような超一流アスリートと、もしかしたら同じくらいすごいかもしれない。
言い換えれば、この能力をもってすれば、反対側に180度シフトさせることもできるかもしれない。
一種の超能力だ!
そんなふうに考えたら、だいぶ楽になった。
神社にお参りにいくなど、普段しないことをしたおかげかもしれない。

ギアを上げたい

みなさま連休はのんびり休まれたでしょうか。
随分更新が遅れてしまって申し訳ありません。


このところあまり良い精神状態ではなかった。
職場の役職は前年度よりかなり楽なはずだし
各種の報告書も締切り遵守できちんと書けたはずだし
体調も悪くないはずだし
家庭のことも順調に進んでいるはずだし・・・


「はず」なのだが、なぜか気がめいって、小さなことで自分を傷つけてばかりだった。
たとえば、クリーニングに服を取りに行かなければならない。
だが家を出るのが億劫だ。
すぐに行かなくても困らない。
でも、いつまでも気になって忘れられない。
なかなか取りにいけない自分が情けない。
店の奥でずっと吊るされているスーツやシャツたちが可愛そうだ。
そのことがいつも胸をチクチク刺している。
(ブログ更新もまた、クリーニングと似た感覚だった。
訪れてくださった方には本当にごめんなさいです)


・・・これはどう考えてもクリーニングの問題ではなくて、私の心理の問題であり、この自己否定や罪悪感を断ち切らねばならない。
しかし「ねばならない」が出てくると、またしても悪循環が始まる。


罪悪感を絶たねばならない。
でも、すぐに何かが起きるわけでもないし
これは癖のようなものだし、どうやって絶ったらいいかよくわからない。
こういう自分が嫌だ。
罪悪感を忘れるために、自分を甘やかそうとしてゲームや漫画などの無駄なことに逃避する。
しかし何も解決しない。

『星の王子さま』に出てくる、「飲んでいる恥ずかしさを忘れたいために飲み続ける」酒飲み男と同じだ。

 


ううう・・・答えはわかっている。
「テキトー」になって、のんびりすればいい。
深呼吸をしたり、お風呂にはいったりして気分転換をすればいい。
ヨガをした。天然酵母を使ってパンを焼いた。家の片づけをした。

だが、戻ってしまう。
恐らく深層心理では、変えたくないと思っているのかもしれない。
この辛い状況そのものに執着し、依存しているのかもしれない。
プチ欝状態だ。


が、モラハラ関連のサイト拝見していたら、たいへんヒントになる情報が多かったので少し立ち直れそうだ。Joeさんの出された本はすぐに売り切れになっているほど、需要が多い。


病気のことにせよ、家庭のことにせよ、自分は「強い」から耐えられるし大丈夫だと思っていた。
だが実際は不必要なことに執着し、無駄に自分の心身を傷つけていた。
癌で言うならば、不必要に「死」を意識して、ドキドキしていた。
車の運転に例えるならば、ローギアなのに床に着くほどアクセルをふかし続け、
歯車やタイヤが磨り減った状態だ。
それは身体で言うと、脳や内臓など、全身に炎症が生じている状態だ。
で、どうすればいいかというと、
アクセルをふかすのではなくて、ギアを上げることだ。
ギアを上げるとは、合理的に効率を上げ、車を楽に進ませることだ。
それが、たとえば「お金で解決する」とか、「友達に頼る」とか、「専門家に任せる」とか、「あっさり諦める」ということなのだろうと思う。


根っからのマゾで、しかも不要にがんばってしまう長女タイプなので、
ここをなんとか変えないとこれから何が起きても苦しいままだ。
ちょっと気分を変えるために荒っぽくお金を使ってみようかと思っている。
何がいいだろう。
DVDの全巻大人買い?
高級ホテルで一週間引きこもり?
ギリシャで古代遺跡の発掘調査に一ヶ月?
あやしい霊媒師に占ってもらう?