ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

新年おめでとうございます

新年おめでとうございます。

昨年はみなさまそれぞれが苦労を重ねられた一年だったと思います。

本当にお疲れ様でした。

こうして無事に年を越せましたことに、まずは感謝申し上げます。

そしてみなさまが健康にこの一年を過ごされますように。

 

ブログの更新がすっかり止まってしまいました。

ごめんなさい。みなさまはお変わりないでしょうか。

 

今年の目標は「状況に依存しない」です。

人や嗜好品や買い物への依存はよくある話ですが、状況そのものへの依存も多分にあることに気づきました。

「病気」だと言われると、頭の中がそれだけになる。

子供の受験となると、それがすべてになってしまう。

職場に不正があると、そのことばかりを考える。

コロナが流行ると、ひたすら感染のことを心配する。

・・・こういうのは悪い「癖」なのだということに気づくと、少し楽になります。

はまってしまった「何か」は、自力ではどうしようもない過去や未来についての無駄な妄想であり、実際にはもっと多様な日常が周囲にあることに気づき、それを味わい、大切にする。

 

あるがんのブロガーさんが、「みんなどうして幸せのハードルを上げたがるのかなあ」と呟いておられました。

確かに、「結婚して子供を二人もうけてマイホームを買ってバーベキューをして元気に80歳まで生きる」のがあたかも幸福であるかのように思いこまされている現代ですが、実は、自分の口から水が飲めること、きちんと排泄できること、自分の足で立って歩けること・・・それだけでもすごく幸福なことだと思います(たまたまALSの方と知り合う機会があったことも影響しています)。

ただ、マイホーム的な幸福が高度な幸福で、自力で水が飲めることが低級な幸福だとは思いません。

むしろ逆で、日常のひとつひとつの幸福に気づくには、常に鋭敏に認知し、その意味を考え、心身にとっての心地よさを体感する必要があるので、むしろこの方が高度な幸福なのだろうと思います。

それさえマスターすれば、日常の時間は幸福に溢れているはずです。

その鍛錬をしたいと思います。

 

以前ブログに、私の無意識は極めてネガティヴで、悪いことばかりを想像する癖があることを書きました。

しかし無意識というのは、生来の性格によるのではなくて、環境の産物なので、実は環境を変えさえすれば無意識が良いものになるのですよね。

風呂場やトイレの掃除をすると気持ちがすっきりして、心にゆとりができるのが一例です。

ところが人間は恒常性機能が働いてしまい、何も変えずにそのままでいることが一番居心地がよいのです。

そうした何十年という凝り固まった習慣や無作為がカオスな環境を作り出してしまい、絶望的かつ思考停止になっている現状でした。

ちょっとずつ、自分の部屋から掃除を始めています。

昨日は机周りのPCの配置を変えたら、目の前にあった余計な配線コードや雑多な紙切れがなくなって、驚くほど仕事に集中できる環境になりました。

こういうことをやっていきたいなと思っています。

 

もっと些末な例では、ハンガーです。

洋服を干すハンガーは、引っ越してクリーニング屋が変わる度に色や形状が変わり、本数も増え、しかも丈夫なので壊れて廃棄することもなく、50本近く洗面所に転がっていました。「まだ使えるし、もったいないから」と思って放置していましたが、実はピンクや黄色の蛍光色のハンガーが私の視野を乱していたこと、ぼろぼろの針金ハンガーが毎回指に突き刺さりそうでストレスだったこと、そんなことに気づいたので、思い切って廃棄しました。

貧乏性過ぎて笑われそうな話ですが、私にとっては大きな自己変革です。入れ替えて新陳代謝することで、空間の流れが起きる。

ああ、肉体と同じだと思いました。

排泄をしないで溜め込み続けると、絶対によくないことが起きる。

だから「気」か「液体」かわかりませんが、「流れ」をよくしたい。

今は、環境を自分用にカスタマイズすることが、一種の趣味になっています。

子供が小さかったり、家族がいたりすると思うようにならないので諦めの境地だったのですが、もう一度、自分が落ち着く環境を整えたいと思っています。

理想は、外資系ホテルの部屋並みのシンプルさです。

心の中も。