ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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無意識がネガティブだった

先日NHKで、スイスに渡って安楽死した方の番組をやっていて(死の瞬間も撮影していた)、いろいろと感じるところがあった。多系統萎縮症(ALSのような筋肉の萎縮のほか、自律神経も動かなくなる)で苦労されたその方自身のブログも拝読した。感想を文章にしてみたのだが、単純にがんと比較してもよいものなのか、もやもやしてしまい、結局アップできずにいる。日本の法制度の遅れや、安楽死にかかわる議論などをまっとうに論じるだけの気力はまだない。日々を送るだけで精一杯だ。(だが、別の方が書かれているように、あの番組の作り方では、視聴者の誰もが、ちょうどリンツのおいしいチョコレートをお取り寄せするのと同じ感覚で、「さすがスイスねえ!私もスイスに行って安楽死しよう~」となるのは目に見えている。私もそう思ったもの。)


とはいうものの、おかげさまで5月までの不調はだいぶよくなった。
私の不調というのは、常に無意識がネガティヴモードであることに起因すると気がついた。
表層的な思考は、たぶん普通だし、仕事ではむしろ楽観的である。
しかし、帰宅して鍵を開けるとき、「あれ、鍵がない?」といつも緊張する。
レジで支払うとき、必ず「あれ、小銭がみつからない、店員が待っている、早くしなければ」と焦る。
横断歩道を渡るときは、青であっても「もうすぐ点灯するかもしれないから急がねば」と思っていつも走る。
明日地震が起きるかもしれないのに水のストックが不十分だと考えて心配になる。
トイレットペーパーがなくなったら困る、と思って必要以上に買いだめしてしまう。
もちろん日本沈没とか隕石落下とか富士山噴火とか宇宙人の侵略とか、そんなことも考える。


人目があろうがなかろうが、何かネガティヴなことを予想して生きるのが習慣になっていて、そのためにいつも落ち着かない。
多分脈拍も速くて自律神経が興奮ぎみなので、休まる暇がない。
いつごろからそうなったのかわからないが、多分10年、20年も前からだろう。
そんな無意識が習慣化したところに、「The 不幸」であるような病気とか家庭の問題が生じたら、無意識界は「待ってました!」と言わんばかりにネガティヴ砲を炸裂させるに違いない。
それにやられていたのだということに気がついた。
自分で自分にかけた呪い、ということもできる。


しかし現実は、自分が捕らえるほどひどくない。
ここまで徹底してネガティヴに徹することができる自分というのは、あそこまで徹底してポジティヴ思考を磨き上げているイチローのような超一流アスリートと、もしかしたら同じくらいすごいかもしれない。
言い換えれば、この能力をもってすれば、反対側に180度シフトさせることもできるかもしれない。
一種の超能力だ!
そんなふうに考えたら、だいぶ楽になった。
神社にお参りにいくなど、普段しないことをしたおかげかもしれない。