言葉や祈願をくりかえし唱えると
自分を催眠にかけ
自分を閉ざし
自分を破壊することになります
孤立している思考は
すでに知られているものを超えることはありません
祈りに対する答えも
すでに知られているものからやってくる反応にすぎません瞑想はそのようなものから
かけ離れたところにあります
その領域には
思考が立ち入ることができません
そこには いっさいの分離がなく
したがって
自己という感覚はありません
瞑想は開かれた場のなかでおこります***
あなたは一度でも瞑想したことがあるでしょうか
あらゆるものから離れ
あらゆるひとから離れ
あらゆる思考や追求から離れて
自分だけで 独りきりになったことがあるでしょうか
孤立するのではなく
夢想や幻想にふけるのでもなく
ただ離れていき
自分自身のなかから
認識できるものが すっかりなくなり
思考や感情によってふれられるものがなくなるほど
完全にひとりきりになったことがあるでしょうか
すっかり離れていくと
まったくの独りきりになり
そのなかで静寂そのものが
たとえようもない花となり
たとえようもない光となり
思考では測ることのできない 時のないものになります(『瞑想』)
すっかり更新が止まってしまって申し訳ありませんでした。
心と体のバランスがうまくいかない感じでした。
クリシュナムルティの説く瞑想論はすごく説得力があります。
彼は「思考」を否定するのですね。
たしかに私は毎日、同じこと、しかもネガティヴで無駄なことを、えんえんと考えてしまう。
仏教でいうと煩悩に相当する。
そういうものがなくなった境地に達したい。
しかしそれは、宗教的な悟りとか哲学的な思索とは違って、上記のような、
日常の中に自分で作ることのできる、ほっこりした感覚世界なのだなあ・・・