ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 歯磨きという「習慣」

歯が話題になったので、今日は「cypresが歯磨きができるようになった」という、ものすごく低レベルの話です。

子供の頃は、虫歯君が来ないようにしなきゃ!と思ってまじめに磨いていた・・・はずだ。虫歯君はとがった尻尾をもった悪魔みたいな黒くて悪者だというイメージを信じ込まされ、歯磨きを習慣化させられたんだね、われわれは。

だが大人になるとだんだんと習慣化し、無意識になる。せいぜい汚れや口臭で他人に不快感を与えないことくらいしか考えない。習慣化した行為というのは必ずクオリティーが下がる
私の場合、電動ハブラシでサーっと表面をなぞるだけになってしまい(一回10秒くらい)、気がつくと歯石や汚れだらけになった。でも年をとればこんなもんだろう、痛くなったときに歯医者に行き、最悪抜歯してもらえば十分、と思っていた。根本的に自分の身体に関心がなかったというのもある。虫歯だかなんだか知らないが、目に見えないものについて考える余裕がなかったこともある。
ところが転居したとき、たまたま良い歯科医が見つかった。「このままでは確実に歯周病になりますよ」と叱られ、定期的に来院するよう命じられた。すると1、2年してちゃんと歯磨きができるようになった。ブラシの刃先があたっている箇所を意識し、実際に汚れが取れていくことをイメージし、磨いた後のさわやかさを実感する。すると必要悪としか思っていなかった歯磨きや歯間ブラシが、楽しくなってきた。また歯のかみ合わせは姿勢や集中力にも影響することや、口内環境が悪いと肺炎等になりやすいこと、などの知識も身につき、その重要性が実感できるようになってきた。歯医者の先生も本気で喜んでくれた。好循環が始まった。
「恐怖」によって脅迫する、あの虫歯君式の教育は正しかったのだろうか(sinkoさんの坊やはどうしているのだろう)。本来は、口内が清潔であることの気持ちよさを感覚的に実感させるとともに、知識として歯磨きの必要性を科学的に教えるべきだったのではないだろうか(某歌舞伎俳優さんは、歯磨きせずに毎晩飲み歩いてはゴロ寝の生活で、結局細菌感染で肺炎になったんだよ、など)。

たかが歯、されど歯。この意識はからだ全てについても同様だと思う。習慣化という無関心がさまざまな生活病を招く。「生活習慣病」って言うくらいだし。とくに発病前の私は徹底して自分の身体に無関心だったので、それがよくなかった。この生体にお世話になっている。この生体の上に意識がのっかって仕事しているのだから、もう少し感謝し、注意を払ってあげるべきだっただろう。
シモーヌ・ヴェイユが言う「注意」attentionはこういう注意だ。危険や損失から身を守るための注意ではなくて、微小や不可視のレベルに至るまで、すべてのものごとに意識を払うこと。それが生きる秘訣かもしれない。
注意を払えなくなると、人は死んでゆく(老化のせいじゃないよ)。
だからがんについても、死の恐怖による脅しなんか、いらない。そんなのに騙されているのは、本気でバイキンマンを悪者扱いする幼児と同じだ。
体を構成している60兆個の細胞を常に意識し、そのバランスを心がけ、そして、医学や生物学を勉強する。食べ物や環境のことを知る。
つまり社会の欺瞞から身を守るすべを得る。
そして自分の体感を一番重視する。
それが健康なんじゃないかな。

で、もし60兆個では多すぎる、と思うのならば、とりあえず人体は口から肛門までのひとつの「管」だと認識して、快適な管生活を心がければよいのではないかな。管の部分って、あれは直接外界に接しているんだよね。