ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 カップケーキは敵と思え〜依存症ビジネス〜


私は何かにハマりやすい。テトリスからドラクエまで、ハマると止まらなくなる。そこでトンプソンの『依存症ビジネス』を読んでみた。酒や麻薬やタバコだけでなく、カップケーキもiPhoneもスタバのフラペッチーノもみんな同じだ。
アメリカの大衆をターゲットにして大もうけしたマグノリアカップケーキが日本にも上陸して、女子たちをハマらせていく。どきつい甘さと「かわいい物を食べる」という一瞬の快楽が、一個につき430円を払い、行列に30分費やし、700kcalを摂取するだけの価値があるのかどうか、冷静に考えてみよう。
おおむね以下のパターンになる。


 ○○が好きだ
 ⇒○○が欲しい
 ⇒○○を得る
 ⇒報酬(甘さ、酩酊、優越感など)
 ⇒快楽(エンドルフィン)【ほんの一瞬】
 ⇒自己嫌悪
 ⇒○○が欲しい・・・以下エンドレス
しかも感覚は麻痺し、消費量を等比級数的に上げていかないと同程度の快楽が得られない
 ⇒経済的破綻または社会的破滅まで続く


依存症を心理学的に語る本の多くは、「あなたには幼少期のトラウマがある」「ほんとうは愛に飢えている」から依存するのだ、と高飛車に決めつけ、ますます読者を自己嫌悪に陥らせる。だがこの本にそんな部分はなく、依存症とは「誰もが」かかりうる、供給主導側のビジネスなのだと結論する。
上記のプロセスはすべて自分の意思で自発的にやっているので、自分の性向のせいであり、その結果は自己責任だと思いがちだが、そうじゃない。エンドレスに物を消費する「廃人」を作りたがる企業が、悪い。
ではどうすれば依存症にかからずに済むのか。「環境」を作るしかない。それが目に入りにくい、手に入りにくい環境を作る。それが無理なら引越しをする。仲間が競って酒を飲んだり、ケーキを食べたがるような環境ならば、そこから離れる。企業は消費者の自制心の敷居を下げようと、スーパーのレジに甘いガムやクッキーを置いたり、人気俳優にCMをやらせたりと、あの手この手で迫ってくる。
自分の「意志」などには期待しない。いくら禁酒、禁煙をしても、ひとたび口にしたら、あるいはひとたび美味しそうに味わう俳優をCMで見たら、すぐに戻ってしまう。
著者のトンプソンも20年くらいアル中だった。オックスフォードを出たものの、2流のパブリックスクール出身という微妙なコンプレックスのある立ち位置から、10代から仲間たちとパブで乱痴気騒ぎの習慣をつけてしまう。階級社会イギリス恐るべし。彼は宗教学の博士号をもち、仕事は『カトリック・ヘラルド』の編集長であるが、宗教関係者にもアル中が多いとのこと。カトリックも恐るべし。


個人的には、本書にも出てくるが、スタバのフラペチーノ戦略が気に入らない。そもそもカフェインは有害であり、コーヒー自体が発がん物質のひとつであるのに隠蔽されている(とくに日本では)。英語が堪能で「できる奴」ほどコーヒーを飲まないといけないイメージだ。しかも氷入りの冷たいコーヒーを飲めば内臓温度が一気に下がって、免疫も10%くらい下がる。そこにたっぷりのホイップクリームと精製糖と、悪名高い「コーヒーホワイト」(ミルクじゃない、油を白く染めたやつね)を加える。トランス脂肪酸とか、血糖値上昇とか、カロリー過多だとか、、、健康上悪いことのオンパレード! さらには、コーヒーのお供に食え、といわんばかりに巨大なビスケットとかチョコレートバーとかがレジの隣に置いてあって、ついつい買ってしまう、炭水化物と脂肪と砂糖の塊。


わかったか!自分!


依存症ビジネス――「廃人」製造社会の真実