ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 ずっと続く ということ

乳がんのつらいのは、手術が終わりではないことだ。胃がん(早期)だったら、切り取ってしまえば完全に治癒したと言えるわけだけど、乳がんの場合は、どんなに初期でも、完癒ということはありえない。このステージで、この病理なら、この資料によれば、10年後の無病生存率は90%・・・といった具合に、あくまであるのは統計だけだ。原理原則(これをやればこういう作用機序がある)ではなくて、確率(これをやれば70%の人は症状がよくなる)が相手であるということ。がんが難病だというなら、ここにその理由があると思う。
よくわかってない知人から、「でも初期だったんだでしょ?手術したからもう平気なんじゃないの?」と軽く言われると、けっこう腹が立つ。でも説明しづらい(「私のケースでは、10年後に生きている確率は93%くらいです」なんて言えないし、言われた方もどう答えたらいいかわからないだろう。99.5%なんて数字なら、まず大丈夫、と思えるんだけど、93%って実に微妙。多分大丈夫だけど、運が悪いとそっちへいってしまうような・・・)。
かといって、いろいろと調べて、平均よりも多めに(長めに)治療をしたり薬を飲んだりしても、なにしろ数値的な裏づけがないから、医者からも仲間からも「がんノイローゼでは」なんて言われてしまう。これでよいのだ、と自分でしっかりと確信をもっていないとやってられない。結果は、つけは、自分自身の体で支払うわけで、誰も代わりに責任をとってくれないわけだし。
手術までは、「よおし、治してやるぞ!」と前向きな気持ちで戦えたのだけれど、その後の精神ケアがけっこう難しい。忘れたいような、忘れてはいけないような・・・ 術後2年たって、やっと心のもちかたが定まってきたような気がする。無理に忘れようとして活発な日々を送っても、無意識の領域で抑圧されていて、へんなかたちで現われる(悪夢とか)。
がん患者としてではなく、ほかならぬ私自身の身体なんだから、という理由で自分をうまくいたわってやらないといけない。
体内のがん細胞をゼロにすることはできない。一般の人でも(←こういう表現はきらいだが)毎日5000個は新しいがん細胞が体内に発生するらしい。そういう5000個と、これまで住み着いている(かもしれない)乳がん細胞の数十個(?)、そんなに違わない。何個かいたって、かまわない。問題は、体内環境全体において、彼らが問題外の、無害の、弱い存在でいてさえくれればそれでいいということだ。だから、気持ち(気合)において、いつも彼らにうち勝つ存在でいようと思う。
ついモズクとか、ニンニクとか、いかにもがんに効きそうな食べ物を食べたとしても、「がんだからこれを食べる」じゃなくて、私のからだが今これを本当に欲しているか否か、と感じながら、食べるようにする。そうすると少しずつわかるようになる。さっき鳥のレバーを食べたら、体がこれを求めていたんだ、ってのがすごくよくわかった。きっとビタミンDなどが不足していたのだろう。
がんはいつまでも終らない。でもそれは、私が死ぬまで私のからだや私の思考が続くのと同じこと。問題は、それを私の頭脳がどうコントロールし、どう統合していくか、ということだ。