ergo sum

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エコはエゴ?

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エコというのはエゴではないか? といつも思ってしまう。

放射能に関するドイツの過剰反応に対しては、環境先進国の「知」や「姿勢」に尊敬とあこがれの念を抱く日本人と、逆にナショナリズムやエゴイズムを感じる日本人とに分かれるのではないだろうか。私はかなり後者かもしれない。

「日本は原爆の経験があるのになぜ原子力発電所にナイーブだったのか」という日本に対する彼らの問いかけそのものが、「原爆経験がなくても知的に進んでいるので原子力に敏感なドイツ」「知的には低いが原爆の被害者なので原子力に敏感でありうる日本」という階層を内包していると思う。そうしたヨーロッパの無意識を無意識に(または意識的に)読み取って、それに迎合するような発言をしているのが村上春樹だ。彼は「原爆を受けた時点で日本は原子力にノーと言うべきだった!」ということをいまさらのように、国際的な場で叫んでいるらしい。(日本には「無常」の伝統があるので、深甚な被害をも許し、忘れてしまう、というようなことを言っているらしいが、それも違うでしょ。政治がダメすぎて無関心、無反応になっているだけだ。)
私に言わせれば、そもそも「原爆」被害国なのにアメリカの政治文化的支配の中でそれを忘れさせられてしまったことを先に問題視すべきだし、また、先進国ならば原子力発電所がいくつもあってあたりまえだし、日本の行政と電力会社が危機対策などに関しておよそ無能であったのも当初から予想がついていたし… それだけだ。
だから「原子力にノーと言うべきだった」と今頃「べき」論を蒸し返して自分の罪悪感を悪化させる暇があったら、具体的な復興の手順でも考えたほうが建設的だと思っている。
こういうときにここぞと発言する知識人たちのベクトルがぜんぶ微妙にずれているのが情けない限りだ。いい子いい子と欧米に頭をなでてもらいたくて発言をする村上のような人間しかいないんだろうか。
そう思っていたらドイツで活躍されている哲学者の三島憲一氏がドイツのメディアに語った文章を人からもらった。こういう人もいるのだな。とてもうれしかったので、ぜひ多くの人に読んでもらいたい。
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