ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 マーガリンと給食の思い出

今は息子の大学入学の準備などで慌しくしている。今の住所からは少し遠くなるので、どうせ借家なら息子の学校と私の職場に近い所に引越そうかと考え、家探しもしている。引越しのことやお金の支出のことで夫と意見が合わず、かなり不愉快になった。


自分が小学生になったときのことを思い出した。ハッピーな思い出はあまりなくて、思い出すのは給食のことばかりだ。
もともと食が細くて、ごはんをお茶碗に一杯も食べられずに苦労していた。これでは小学生になってからが大変だと思ったのだろう。母は何度もこう言った。
「ショウガッコウでは、給食を残したり、時間内に食べなかった子は、牢屋に入れられるのよ」
だから入学は恐怖でしかなかった。ほかのバージョンとしては「先生の言うことを聞かない子は牢屋に入れられる」「忘れものをする子は牢屋…」以下同文。
さて、5月くらいになって、ついに給食が始まった。黒板前に勢ぞろいして立っている白衣の当番たちが医者のように見えて怖かった。白衣の放つ妙な消毒液の匂いも病院みたいだ。あの人たちが私を牢屋に連れていくのだろうか…
大急ぎで食べた。おかずは何とか食べられたのだが、食パンがパサパサしていて、とても食べられない。しかも二枚。
死に物狂いで食べたが、マーガリンが残っていることに気づいた。5センチくらいのビニール袋に入ったやつだ。
今の私がその場にいたら、「トランス脂肪酸のマーガリンなんか、死んでも食うな!」と叫んでいたことだろうが、もちろんそんなことはわからない。
マーガリンだけを、ビニール袋からチューチュー出して吸って、食べようとした。
だが普段食べつけていないヘンなものを食べられるはずがない。
半分くらい食べたら気持ち悪くなり、ついにごちそうさまの時間になり、パニックになった私はゲボっと吐いてしまった。
だが、その後誰かが私を逮捕しにくるわけでもなく、皆何事もなかったように振舞っている。ケーサツの人はいつ来るんだろう、という恐怖におびえながら縮こまって過ごした。
だから最初の給食は最悪の思い出だった。子供を脅迫したり屈辱を与えれば言うことを聞くと思っている母と、まじめで(まだ)素直な子供だった私。食べられないことを先生に相談したり、残したらどうなるのかを正直に尋ねたりする勇気やコミュニケーション能力が欠けていた。
それ以来私は牢屋に閉じ込められる夢をよく見るようになった。


だが、今思うに、マーガリンを単独で口に入れて、気持ち悪いと思う感覚は、正しいのだ。私の体は正しく反応したのだ。ところが年をとって感覚が鈍くなったり、社会性が芽生えたりすると、気持ち悪いものを美味しいと思うようになってしまう。コンビニ弁当とか、ファミレスのハンバーグとか、フォワグラとか、霜降り肉とかね。