ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 家族システムズ論と差異化

やはり同僚の突然死が堪えたようだ。たんなる偶然の発作(?)と思っていたが、聞くところによると彼は仕事関連で攻撃を受けており、相当のストレスを抱えていたとのこと。痛ましい。
いまだに感情を内に抱え込んでいるせいか、私の身体に影響が出てきたことに気づいた。手の湿疹、不眠、腹痛など。いかんいかん、自分で自分の免疫を下げてはいかんのだよ。
「病は気から」を科学的に解説している本、ガボール・マテの『身体が「ノー」と言うとき』を読んでいる。統計的研究に基づいてがん患者の性格やトラウマを見事に解説しているので、お勧めしたい。
マレー・ボーエンの家族システムズ論によれば、病気は「単に一個人の生物学的問題ではない」。「感情面で他者とふれあいを持ちつつも、自らの感情の働きを自律的なものに保っていられる能力」、つまり「差異化」が基本概念としてある。十分に差異化のできている人は、自分の感情を率直に受け入れて反応できるが、そうでない人は、「自己と他者の間に感情的境界をもたず」「他者の不安を自動的に自分のものとして取り込み、自分の中にもかなりの不安を生み出す」(p.284)。だから母子関係などに問題があると、それが免疫疾患やがん等の原因になる。
たとえば(例に出してごめんなさい)yoccyannさんのような人は店員さんとおしゃべりを楽しみながらうまく情報を引き出し、自分の買いたいものをきちんと買えるタイプだ。一方私は、店員に勧められたら断るのが怖くて買ってしまい、あとで自分を責めるタイプだ。店員がイラついていたり、脅迫的に熱心に販売しようとすると、なおさらその感情一身に受けてしまう。うーむ、私は差異化できていない。今でもデパートで買い物するのが怖くてしかたない。コンビニで小銭を支払おうとして、店員を待たせていることに対して過度に緊張してしまう。だから疲れていると財布には一円玉がたまってしまう。
そうか。だから他人の死と自分の身体についても、うまく境界線が引けていないのだな。
状況が少しクリアになってのでよしとしよう。先週は毎晩行事続き、今週末は地方へ出張だ。その前になんとか建て直したい。
身体が「ノー」と言うとき―抑圧された感情の代価