ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 Kさんの番組

あしたは病院なのだが、その前にある番組を見てしまい、もやもやしている。
有名な歌舞伎俳優さんの没後一周年記念のTV番組だった(検索に引っかかるのがいやなのでKとしておく)。だらだらと感想を書いてみるが、あくまで私見や推測であることを断っておく。
Kをあまり好きでないなと思ったのは、人気絶頂でハンバーガーのCMに出た頃だ。黒い紋付はかまのいでたちで大量の歌舞伎役者がにこやかにバーガーショップに食べに行く、というものだ。高尚で閉鎖的な社会集団が、お金をもらったからだろう、バーガーショップに行くことによって、庶民性と不健康の温床である場が一気に美化され、憧れの場所に変わる。この集団は、いってみれば権力そのものだった。
その中心で優雅にコーヒーを飲んでいたKは、飲み屋を渡り歩き、どの店でもすぐに店のオヤジと親友になってしまうようなタイプだ。きさくな笑顔や飲みニュケーションを利用して人脈を確立して出世する類型だが、こういう人間ほど差別意識が強いことは私の経験上よくわかっている。「いやぁ、君とは親友だ」と肩を叩きながら、心の中では「俺はエライ。しかも飲み屋のしがないオヤジと口をきいてやれる度量の広さをもっているので、もっとエライ」と思っている著名人って、すごく多い。
さて。医療の話に行こう。Kは食道がんだった。すでにリンパに転移していたのになぜ「初期」と発表されたのかは謎だ。世間を騒がせないためならばわかるが、患者本人を安心させて無謀な手術に向かわせるために医者が「初期」と表現したのなら、罪作りだろう。担当医は「勝ちにいきましょう」と言ってKに手術を勧めたという。リンパ転移があれば常識的には手術はせず化学療法になるが、根治の期待をもたせて過剰な手術を勧め、広範囲を切り取った。8月上旬。術後いったんは回復するが「誤嚥」をきっかけに肺炎を起こし、さらにARDS(急性呼吸促迫症候群)に至る。
「誤」の字が入ると本人のミスのせいという印象を受けるが、食事をまったくとっていない段階だったので、せいぜい唾液の誤嚥だろう。病院の管理責任や拡大手術の責任はないのだろうか。(ある歯科医は、Kの口内環境が悪かったせいで肺炎など起こしやすくなっていたのではと推測する。たしかに舞台映像を見ても、白塗りの顔と比べると、歯の茶色さや汚さが目立つ。タバコ・深酒・不規則な生活は、歯にもよくないだろうなあ。)
手術をしたG研ではARDSに対応できないのでJ病院に転院、と聞いたとき、術後に発生する可能性がある症例に対応できないなんて!とG研のレベルの低さに不安感をもった。あるいは手術そのものを巡って、病院と患者家族がこじれたのかもしれない。あるいはまた、ARDSに対して「特別な」治療を家族側が要求したために転院を余儀なくされたのかもしれない。
呼吸ができない状態だったことと、肺そのものを休めることで機能回復を狙い、転院後の病院では人工肺のようなものを装着。この人工肺とやらも、一般的に使用されるものではなさそうだ。本来ARDSの段階で死亡するところを、特別な患者だから特別に使用した様子が伺える。ところが装置の使用によってかえって肺が自力で機能しなくなってしまった。
最後は、11月末が夫妻の結婚記念日で、12月には息子たちの重要な公演があるので、記念日の翌日に呼吸器を止め、家族が死に立ち会えるようにしようと妻が提案するが、息子の反対で自然に任せたところ、12月過ぎに息を引き取る。
病室での最後の音声というのも録音されていた。医者が「ウルトラC」の技で一時的に人工呼吸器を外して話せるようにしてくれたらしい。妻らはKに話させようとするが、Kは自分の名前と「ハハハハハ」という音だけをかろうじて発した。TVではこれが何かの演目の一場面を演じたもので、最後まで役者魂を見せた、と美化していた。演目だったのだろうか。ここで何を言えというのか。何も知らない私から見たら、あきれて笑う以外になにもない状態だったのでは、と思われた。途中からは自分がどういう状態かわからなくなっていた、「おれは治るんだよね?」と何度も妻に聞いていたそうだ。
一連の流れを見ると、患者の無知と社会的立場につけこんで無謀な手術を行った病院、患者自身のQOLよりも立場ゆえの不自然な延命や話題性作りのために特別措置を求め続けた家族(たぶん妻)のせいで、Kは人並み以上に苦しむ結果になったと感じる。最後の録音も、ほんとうに声が聞きたくて行ったのだろうか。ほんとうに患者のためになっただろうか。後日発行される未亡人の手記やドキュメンタリーのための演出や準備ではなかったか。ドキュメンタリーでは、Kの死後、息子や孫の奮闘ぶりが延々と描かれている。Kの闘病だけを見、ただKを偲びたかった聴衆にとっては、息子や孫の宣伝、歌舞伎の宣伝、Kの美化や英雄化は、むしろ不純に感じられたのではないだろうか。
これはがんで手術したが、がん以外の理由で死んだ皮肉なケースのひとつだ。あの近藤医師は、手術さえしなければ死ななかった、とこのKのケースをしきりに取り上げている。私が思うのは、本人や家族の「特別」意識がかえって不幸を招いたのではないか、粛々と生活すれば3、4年は仕事しながら生きられたのではないか、ということだ。