ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 「趣味をやりなさい」

前回の手術からちょうど一年経つ。今は体調が良い。ここまで回復した自分の体をほめてやらなくては。明日からは家族で軽井沢の山の中で避暑。きれいな空気を思いっきり吸い込みたい。(PC通信の可否は不明なのでコメント遅れるかもしれません)


さて、その主治医のK先生がご栄転されてしまったので、2月頃の術後初のCTの説明は、後任のH先生だった。K先生よりは年上で、低い声で、K先生のような営業スマイルもないので、冷たい人かな?と心配したが、杞憂だった。


最初にいい人だと思ったのは、すぐに予約を入れてくれたことだ。「現在の小さい複数のGGOがいつからCTに写っているのか見ておいてくださるとK先生はおっしゃっていたのですが・・・」
「では来週の○曜日は?」
は?最初は意味がわからず何の日程かと思った。
「――5年以上前のCTを見るには放射線科の許可がいるので最短で2、3日はかかります」
そんなにすぐに見ていただけるとは。K先生とて、見ておくといいながらお茶を濁してここまで来ているので、H先生も「あれは心配いりませんよ」などと適当なことを言ってごまかせたのに。(結果として今の数ミリの小さいGGOは2010年にもあり、大きさも変わらないので問題ないということがわかった)
また今日血液検査をしましょう、となったら、「では来週の○曜日は?」と聞いてくれる。
「えと、来月末に××で来院予定ですのでそのときでも・・・」
「でも、すぐに結果がわかるのと、一ヶ月心配し続けるのだったら、すぐのほうがいいでしょう?」と当然のように言う。はい、もちろんそうなんですが。その一ヶ月という私の時間のクオリティーを、医者であるあなたは考えてくれるんですか。そういう人なんですか。
ここの外科医がどれほど忙しいかは知っている。毎週手術と外来を山のようにこなし、診療枠も通常の診療枠(30分に3人の枠かな?)プラス「処置」枠でまた3人詰め込んで、昼食もとれない。だから早めの結果開示のためだけに診察を入れるのは、医者にとって厳しいことのはずだ。


第二に気づいたこと。この先生は、カルテやその他のデータを頼まなくてもすべてプリントアウトしてくれる。とくに、放射線医のコメントもそのまま出してくれる(乳腺医にそれを頼むと、「ええと、これは私が書いたのではないのでー、それに外に出ると困りますのでぇー」とモゴモゴいいながら断られる)。私のデータは私のものだ、と単純に考えてもらえるのはうれしい。そのフォローアップを含めて責任がとれるということだろう。


第三に、きちんと専門用語を使ってくれる。世間の医者には、「まぁ、できもののようなものの影のようなものがですねぇー、ちょっとあるような感じもするんですがぁー、たいしたことなさそーなのでー、とりあえず様子見でだいじょうぶしょう」というような「のようなもの」連発で素人をばかにした言い方をする人も少なくない。私のような、にわか勉強の生半可な知識レベルの患者は医者にとってうっとおしいだろうが、H先生は用語が違っているとすぐに訂正してくれる。「部分切除は・・」「区域切除です」


そして最後に。2月に撮った術後初めてのCTに不明の結節が二箇所ほど写っていたときのこと。術後すぐのCTがないので、術痕なのか再発なのか判断のしようがない。最悪のケースも含めてH先生はきちんと説明してくれた。私はかなり動揺していたようだ。おもむろに言われた。
「趣味はありますか?」はい?お見合いでもないのになぜ?
「――最近やってないでしょう?」そういえばそうだ。
「――趣味をやりなさい。いいですか。病気のことを考えるのは病院にいるときだけにしなさい。考えるなといっても難しいですけれど。同じ半年でも、どきどきして過ごすのと、趣味や仕事に打ち込むのと、それでもやっぱり同じ半年なんですよ。同じ時間なんですよ」
趣旨はよくわかった。特に私はB型で、病気という状況そのものにはまりやすいので、ネガティヴに考えたり、余計なことを調べすぎたりする。「同じ時間」という言葉は、とても重い。だがそれを医者に指摘されるとは思わなかったので、ぼーっとしていたと思う。すると先生はおもむろに白衣の上をめくって、ご自分の鎖骨の傷跡を指差した。「私だって仕事している」
甲状腺だろうか。おそらく彼もがん経験者なのだろう。これに勝る説得力はない。私はひそかに感動していた。裁判所でジャン・ヴァルジャンフロックコートを脱いで、「囚人24601は私だ!」と叫ぶシーンが重なった。荷馬車に引かれたところをジャンに助けられたフォーシュルバン爺さんのように、H先生を尊敬した。
(ネガティブな私は、それほど再発の可能性が高いのか、と後日落ち込んだりもした。だが、「もう余生わずかだから好きなことをやって過ごしなさい」という諦めの助言とは、似て非なるものだ。余生の期間などわからない。病理的に私がどうであろうと、自分の時間は自分のものであり、自分の時間に対して責任がある。そういう啓発としてとらえなければならない。)