ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

「ぶっちゃけ・・・」


無事出張が終わって帰国した。まだ時差ぼけで、夜眠れないので、ブログを書くことにした。


さて。8月末のことを書き忘れていた。
一言で言うと、ものすごく「奇妙な」一日だった。
その日は肺の方の5年目の検診だった。節目の年なのでCTとMRIを両方やりましょうという主治医の提案があり、私も初めてのMRIに備えていろいろとイメージトレーニングをしていた。これさえクリアできれば、ほぼ無罪放免、すごく気が楽になる。がんばろう!
で、当日病院に行ってまずCTを受けた。その後のMRIを受けようと思って書類を見たら・・・なんとMRIだけはその前日に設定されていた。
うわーー!しまった!家庭のことに呆けていて、日付確認を忘れた。主治医と病院にたいへんな迷惑をかけてしまう。反省した。
MRIの日程を取り直すには主治医の診察を受けないといけない。その日たまたま診察日だったので、予約なしで待ち、2時間後に主治医に対面した。
「申し訳ありません、私の不注意で、MRIの日付を間違えてしまい、たいへんなご迷惑をおかけしました・・・」と平身低頭に謝った。
すると主治医は、忙しすぎて怒ることも忘れていたのか、機械的に出来上がったばかりの私のCT画像をシュルシュルとスクロールさせて病変をチェック。
「これが今回、これが前回。はい、変化ありません」
MRIの件では本当に申し訳ありません、そちらの予約も・・・」
「ああ、そーかー。このCTは今日のだったのね。どうりで病理のレポートが上がってないと思ったよ。あ、MRI? もうやらなくていいですよ」
「はい?」
「変化ないんだからやる必要ないでしょ、それより・・・」
といいながら、過去の何枚かのCT画像を出して見比べている。「うーん、うーん、あれえ?」
なんか変な声を発しているので、不安になる。新しい陰影でも見つけたのか?
「こっちが手術直前なんだけど。うーん。どこだったんだろう?」
「? どこって、気管支寄りのその辺ですが」
「それはそうなんだけど・・・これ・・・よくわからないなあ」
「実は手術直後のCTを撮り忘れていたので、術前の1、2回と術後半年くらいのCTしかないのです。それで術後半年のいくつかの陰影が、再発なのか手術痕なのか、よくわからない状態で・・・当時の執刀医の先生も、他へご栄転されたにもかかわらず、心配してこちらにお伺いのメールをくださいました」
「いや、心配があったとすればね、ほら、ここは動脈に近いので手術しづらい場所ではあるんです」
「断端が十分であったかとか、ステープラーがどうとか、心配されていたのですよね」
「まあそうなんだけど。本当にそうだった?」
「? えーと、先生によれば野口分類はBで、再発は100%ない、とおっしゃりつつも、その後のメールでは5年や10年は大丈夫というあいまいな言い方をされていましたが・・・」
「それはまあ。病理でがんが確認されたし、摘出した写真もあるわけだし」
「マーカーもいつも高いです」
「ただねえ・・・言っていいのかな・・・内緒ですよ」
と、先生は小声で私の耳元に囁いた
「ぶっちゃけ・・・これ、手術しなくてよかったかもしれない」


なんと。これはびっくりした。
だがいろいろな状況が腑に落ちた。
もちろん結果的にがんがあったのは確かだ。ただ小さなGGO(ガラス状陰影)については、現在のガイドラインでは経過観察が一般的だ。それなのに執刀医は手術した。なぜならば、彼はG研からこの病院にやってきたばかりであり、私を対象にして、この病院で初めて肺がんの胸腔鏡下手術を行い、業績を作る必要があった。そして結果として2年後には別の県の著名な某がんセンターにご栄転されている。こういう理解が可能だ。
初診のときのCTと比べて3ヵ月後にはGGOが充実化している、つまりこのまま放置しておけばもっと大きくなる恐れがある、と言われたから私も手術に同意したのだが、その判断が適切であったかどうか、勇み足ではなかったか、という疑いが残る。彼はとにかく切りたかったのではないか。
執刀医が心配していたのは、術中にミスをしたからではなくて、不要でありながら難易度高めの手術を恐る恐る行ってしまい、なにかトラブルが起きやしないか、ということだったのか。
もちろんあくまでこれは現在の主治医の仮説にすぎないし、私も執刀医に対して怒る気持ちは全くない。不安を抱えて何年も経過観察するよりも、がんを取ってしまった方が気分はすっきりする。ただし、それが同時にリスクを抱えていた、ということは今になって理解した。不要にメスを入れて、侵襲によってがんを拡散させたら元も子もないからだ。
というわけで、今回はMRIを取ることはせず、2月に再度まとめて検査しましょうということになった。この8月で5年目検診をクリアしてすっきりさせるという当初の予定は狂ってしまい、先へ持ち越された。
狐につままれたような気持ちで私は病院を出た。
この五年間の「自分は(れっきとした)肺がんだ」という重たい気持ちと、
もし手術しなければ、「かもしれない」モードで過ごしたであろう日々を比較すると、ずいぶん違う。
色で喩えるならば、限りなく黒に近い濃灰色の気分と、限りなく白に近いグレーの気分。
どちらがよかったかは一概に言えない。
だが、もしかしたら、私は「肺がんではない人」としてこの5年を送っていたかもしれない。
多くの恐怖や不安や自己憐憫がなかったかもしれない。
だって肺がんの怖さは乳がんの比ではないもの。


だが社会としてはよくある話だ。銀行の窓口で行員が高齢者に不要な金融商品を売りつけたり、さんま一枚を買おうとしている客に魚屋が「3枚だと500円にまけとくよ!」と言って多めに買わせたり。それは犯罪ではないし、購入した側の責任になる。
問題は、私がこの経験で何を学んだか、だ。
その意味ではこの5年間は無駄ではなかったと思う。
だけど、やっぱりハードだった。もうちょっとのんびり過ごしたかった。
はああ・・・