ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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友人が逝って

学生時代の同級生が急に亡くなって、お葬式に行ってきた。まさかこの年代(40代)で友人に先に旅立たれるとは思ってもみなかった。もしや同じ病気かしらと思っていたら、彼女は胃がんだったそうだ。式場に並ぶ思い出写真は、子供に囲まれ、海外に赴任したり、趣味の合唱に勤しんだりと、誰もがうらやむような幸せな生活の証言だった。そして彼女自身もたいへん美しい人だった。だからよけいショックだったのだろう。
棺の中の彼女を見たとき、それが彼女だと認知できなかった。頭蓋骨に皮がついただけの顔は、どこかの知らない老婆だった。鼻が高いところだけは彼女のままだったが、それがまた蝋人形の魔女のような怖さをかもし出していた。いや、違う人のはずがない、と自分に言い聞かせて、そそくさと菊を入れて背を向けることしかできなかった。彼女の頬に触れて号泣している友人もいたが、私はそういう感情移入さえできなかった。8年前に発病して手術、5年目に再発して3年間は抗がん剤による闘病生活だったそうだ。胃も腸もやられていたので、おそらく最後の1,2年はまともにものを食べることすらできなかったに違いない。胃の3/4を取った後のところに再発したので、胃の容量はものすごく小さいはずだ。胃を取ると、その大きさに合わせて少しずつ2,3時間おきに食事しないといけない、と昔近所のおばあさんに聞いたことがある。異常なやせ方だった。
数年前までは、彼女からの年賀状は、写真館で撮ったような完璧な家族写真だったと記憶する。ところがこの1月の年賀状を取り出してみたら、彼女個人の文字だけの賀状だった。写真を撮る余裕がなかったのか、撮られたくないほどやせていたのか。そして、手書きのコメントには、「学生時代を懐かしく思い出すことが多くなりました。同窓会ができるといいですね」とあった。1月に読んだときは何も気づかなかったし、私個人は同窓会など嫌いな方だった。だがこれを書いた彼女の気持ちを思うと… 
他の同級生にも同じ内容を書いていたそうだ。ほんとうにみんなに会いたかったんだな。会えばよかったのになあ。同窓会を考えた友人もあったそうだが、うかうかしているうちに3月の震災でそれどころではなくなってしまった。
もし私が彼女の立場だったら、そんなやせ細った姿で旧友の前に10年ぶりに姿を現すのは躊躇しただろう。だが、そういう恥を忍んででも、同級生たちに会いたいと思ってくれたということだ。それだけ私たちを懐かしいと思ってくれたということだ。そういう思い出の輪の中に、かつて私たちはいっしょに生きていたのだ。毎日一緒の授業に出て、一緒に食堂でサンドイッチを食べていた。

他の友人は、これを運の悪いこと、例外的な出来事として処理できたのだろうが、私はそうではない。あの変わり果てた姿、明日はわが身かもしれない。率直に言って、怖い。基準値を超えてはいないけれど腫瘍マーカーがへんな動きをしているし、内蔵系の血液検査の数値もよろしくない。このまま不健康な生活を送っていたら、確実にああなる。一回再発したら、もうそのあとは平均3年の寿命だ。それがもう、わかっている。だから気をつけて、というメッセージを彼女が送ってくれた・・・と最初は考えたが、それはなんだか、あまりに虫のよすぎる解釈だと思った。だって私が先に死ぬとして、同級生たちに「あなたたちだけは気をつけてね」なんていう立派なことを思うはずがない。人のことなんかどうでもいい。ただ、自分が寂しい。ただ、悲しい。ただ、会いたい。ただーーもっと生きていたい。
それだけじゃないかな。心のなかにあったのは。
なんだか複雑だ。いろいろ思うことがある。少しブログで書いていきたい。