ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 強い魂

過ちとは、後悔するものではなく、引き受けるものである。
恐れとは、消え去るものでなく、乗り越えるものである。
愛とは、叫ぶものではなく、証されるものである。
シモーヌ・ヴェイユ


友人がヴェイユの美しい言葉をツイッターで引用していたので、これをブログに載せたいと思って開いたら、びっくりした。
前回のブログ更新から2週間くらいかと思っていたら、もう2ヶ月も経ってしまっていた。
私の感覚がおかしくなっていたようだ。本当に申し訳ありません。
それから大雨の警報が出ていますが、西日本の方、注意なさってください。


まったくの偶然で命や財産が失われることもあるのだと、最近実感することが多い。
2週間ほど前、家族ぐるみの付き合いをしていた香港人の友人が急死した。
彼女はパーキンソン病を患ってはいたが、死に結びつく病気ではない。
不自由を託ちながらもこのままずっと生きていくだろうと思っていた。


私は自分から積極的に友達を作る方ではなく、一人で引き篭っている方が好きなのだが、彼女は積極的に私を友人と認め、働きかけてくれた貴重な一人だ。
彼女は「ベビーシッターします」の掲示を出していたので、ある日初対面の彼女に息子を預けてすぐに出かけた。
単に仕事で急いでいたからなのだが、彼女は、一瞬で自分を信頼してくれたことを喜び、以降私を親戚なみに信頼してくれることになった。
ほかの日本人ママは、まず面接をしたり、ためしに1時間試験的に預けたりしようとするのだそうだ。
そう、日本人って、基本的に他人を信頼していないし、階層が同じで、利益のある相手としか付き合わない印象がある(ママ友の選択なんかそうよね)。
それを彼女は理解していたのだろう。
直感において鋭い人だった。


まさに急死だった。
昼になっても起きてこないので、娘が見にいったら冷たくなっていた。
死因が不明なので触ることもできず、事件性を疑う警察が遺体を引き取り、解剖に回された。
1週間くらいしてようやく埋葬の許可が下りたが、娘たちは十分に遺体にすがったり、話しかけたりできなかったことをとても辛く感じていた。


彼らは海外にいるので、一週間休みをとって葬儀に参加することも考えた。
息子に相談したら、「後悔するから、行った方がいいんじゃない?」との答え。
だが、重要な会合続きで、仕事で各方面に迷惑をかけることがわかったので、結局断念した。


彼女の魂は強くてしなやかなので、きっと溺愛する娘たちの周りを漂っているだろう。
だからこんど彼女たちに会いに行けば、彼女とも会えるだろう。
そんなことをメールで娘に伝えた。
冥福を心から祈りたい。