ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 星さんのブログ

乳がん再発というタイトルの青井星さんのブログと、そして星さんの命が、まもなくこの世から消えようとしている。病気仲間のブログで一番いやなのが、本人の更新がしばらく滞って、そのあと突然の家族の書き込みに変わる瞬間だ。息子さんのコメントが昨日ついに登場した・・・
ブログそのものもまもなく閉じられるみたいだ。消える前に、知らない人はいちど訪問してみてほしい。
副題の「もう一度夫の胸で泣きたい」といった「女」としてのこだわりは、私には共感しがたかったが、彼女の考え方、生き方、宇宙をめぐる思想のようなもの、はすばらしかった。正直に言うと、最初は病状や金銭トラブルを興味本位で読んでいたのだが、やがて彼女の、落ち着いた、考えぬかれた、感じぬかれた、ゆっくりとした文体と、その深い内容に、引き込まれていった。こういう普通の人が、こんなすごいことを自分で編み出して、書けるものなんだな、と感心した。同じブログでも、私のは、文句を言ったり、怒ったりしてばかりだが、彼女のは正反対で、すべてのことを感謝とともに受け入れる。「ニコニコサラサラ」がキャッチフレーズだ。
いや、どう言ったらいいのだろう、まだ彼女は私と同じ地上にいる。ブログもある。でも、もうすぐ消えてしまう… その寂寞とした感じを、私は今、もてあましている。ROMってただけだから、コメントするだけの根性もない。「いつか天国でお会いしましょうね」なんてことを軽々しく書き込むのもはばかられる。もし本当に天国があったとしたって、今と同じような肉体と精神の二元的な存在ではないわけだから、今と同じようなかたちで会いたい人たちに会えるとは限らないじゃないか、などとうだうだと考えてしまう。いや、彼女とは知り合いだったわけでもないから、過剰な思い入れを書き込むことは躊躇される。
私が何を考え、何を書こうと、彼女のタイムリミットは刻一刻と迫っている。時は絶対に逆行しない。絶対に前に進んでゆく。その容赦のなさ、あるいは満ち潮のような不可逆性のなかで、ほとんどの人はおぼれてしまうのだけれど、彼女のような人は、意識を失わず、波間の風景を自分の目で見ているのだと思う。その風景の一つひとつを、自分の基準で、美しいとか、懐かしいとか、寒々しいとか、判じている。きっと天国に行っても、あふれんばかりの光のなかで、しかしそれに幻惑されることなく、きちんと風景を見つめていることだろう。
つけ加えると、ものすごい勢いで「時」が過ぎ去っているのは、死にゆく人の周りだけでなくて、最も死にそうにないような普通の元気な人たちの周りもそうなんだ。ちょうど私たちが地球の自転に気づかないように。
彼女について、いったい何をどう祈ればいいのか、よくわからない。祈るって、どういうことだろう。祈るべきなんだろうか。よくわからないから私は、ワインを一杯、飲む。

再発してから余命半年と言われ3年
その間に 夫に不信を抱き 人間不信になり
お金を失くし 明日の暮らしに怯え
自分で自分の体調を 悪化させたのだと感じている

そこをくぐり抜けて 見えてきたものは
どんな時も 誰も恨まず
自分の人生に自分で責任を持って生きようと言う事だった
どんな事も 無駄ではない
私の愚かな思考が 私を苦しめ私の体は悲鳴をあげて
私の生き方や考え方を 修正してくれた
癌は私の心に敏感に反応する
その 導き手だったのかもしれないと思うほどだ

嵐が過ぎ 自分の心がスッキリして
ニコニコ サラサラで生きるようになってから
体調も それについてきたような気がするのだ
私の体に棲みついて
私と共に人生を歩く癌が
恐怖とは違う別の存在にもなっている
これからも 癌と歩こう
自分の至らなさを 修正しながら
笑いながら 働きながら 楽しみながら
ときに苦悩しながら それも生きてるからこそだ
全てが楽しい人生だ 生きてるからこそ味わえる事は
生きてるうちに とことん味わい尽くそう
(青さんのブログ2009/9/29より引用)