ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 がんになりやすい性格

急に蒸し暑くなって毎日ぎりぎりの体力で電車に乗る生活だ。あしたから出張で名古屋だし…
さて、シュレベール『がんに効く生活』を買った。「がん本」を買うのは久しぶりなのだが、これは克服した医師自身の手による、総合的でバランスのとれた「がん本」で、知的好奇心を満たしてくれる読み物として面白そうな本だった(つまり自分が再発するとは現在必ずしも思っていないけど、たまにはこういう本を読んで行いを改めておこうかな、という気持ちだ)。
アメリカで心臓病患者とがん患者の感情的反応を比較する実験が行われた。その結果、がん患者は心臓病患者よりも、「肉体的には強く電気ショックに反応したが、研究者の質問にはたいしたことがなかったかのように答える傾向があった」。がんになる人はまじめだとか融通がきかないとかは、よく言われるのだが、これを読んで納得がいった。自分の苦痛に鈍感で、肉体的苦痛を精神的問題として解決してしまおうとする傾向が、私にもある。だるいような気がするが、それは自分が最近仕事をだらけているせいだ、などと考える。本当は自分の体に向き合って、どこが、どう痛いのか、どう疲れているのか、それはなぜなのか、どうすれば直るのか・・・そう問いかけないといけなかったのだ(なんか親子関係と同じね)。
肉体を無視して精神を優先させる傾向、それはいいかえれば「つらくてもがんばる」「いい子」の習慣だ。そして「いい子」になることは「いいこと」に違いない、と思うから、全く自分を省みることがない。だが「いい子」というのは概して、自分自身にとっての「いい子」ではなくて、社会にとって都合の「よい子」でしかない(ちょっといい就職がみつかるとか、ちょっといい大学に入れるとか――でもがんで早死にすることを考えたらたいした利益ではない)。それが子どもの頃はわからなかったんだなぁー。そしてそれが何十年も続いたとき、体の方が悲鳴を上げて不具合を生み出すのは、あたりまえのことなのかもしれない。とくに、ド根性とか自己犠牲とかが賞賛される日本の文化風土のなかでは、がんがはびこるのもさもありなん(健康な和食がかろうじてそのリスクを下げているだけで)。つらくなって酒や煙草に逃げるのも、体には悪いのに精神的に必要、つまりストレス解消は必要だから、なんていう理屈をつけるからこそだ。そんな精神なんか、くそくらえだ。
うーん、最近は極端にぐうたらでわがままになってきた自分を弁護するみたいな文章だが、まあいいだろう。人生で初めて、自分の体と向き合うことを初めようと思う(こないだはバレエのビデオを見て使っていない筋肉を何十年ぶりかに動かしてみた、爽快だった)。
がんに効く生活 克服した医師の自分でできる「統合医療」