ergo sum

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 『白鳥の湖』

てか、王子、気づけよ〜 白と黒、間違えんなよ〜
…とぼやきたくなるストーリー。これってそもそも、男が二人の女を取り違えた物語で、男の軽率さや見る目のなさが非難されるべきだ。ところが実際は、二人の女がひとりのいい男を争う構造になっていて、もてる男はつらいのう、と王子が英雄化されてしまう。いい女(白)と悪い女(黒)・・・かよわい白を守ってやりたい気持ちと、きわどい黒に誘惑されちゃいたい気持ちと、どっちも男の願望が作り出した文学類型にすぎないが、こういう形象が古今東西世の中に溢れている。くだらんが、ある種の萌える構造では、ある。

ボリショイバレエの『白鳥の湖』を見てきた。最後は悪魔が勝ち、白が死に、王子は孤独のなかに立ち尽くす、という脚色だった(演出によって両方あるらしい)。「え、これで終わり?」と横にいた喬が不思議そうにつぶやいた。それはともかく、すべてにおいてバランスがとれた舞台で、安心してバレエを堪能できた。マリインスキーの場合は、主役級の名声だけに負っている感じがあったけれど、今回は主役級がしっかりしてるうえに、まわりの主要人物なんかが相当うまい(ロットバルトの跳躍がいつも王子を上回っていたり)。どうせ見るなら思いっきり「愛」に浸ろう、と感情移入しきって見ていたら、最後の方はほんとうに涙がでそうになった。こういう「お約束」の感動、チャイコフスキーはうまいからなあ。
・一番感動したのが王子のアルテム・シュプレフシュキーだ。プリンシパルではなくてソリストだし、派手さや俊敏さは、無い。終始ゆっくりした動きで、一つひとつの動作を確実に決める。骨太系で筋肉質の肉体も、いい。なんていうんだろう、この人はとてもいい古典の教育を受けてきたのではないか。なんにつけても「基礎」って大事だ、と心から思った。やがてこの人は、もっと表現力をつけて、すばらしいプリンシパルになるだろう。だから、世間知らずで女に振り回されて、今回はちょっと人生勉強になった王子役に、ぴったりなんだ。
・オデットのアレクサンドロワは技術力がずばぬけて高いので、なんでもできてしまう。しかもチャーミングで、通りすがりのちょっとした会釈なんかが、とってもおしゃれ。この人めあてでチケットを買ったのだが、その甲斐はあった。ただどちらかというと、こういう古典よりも、アクロバティックなモダンの方が向いているかもしれない。
・何箇所もあるヴァイオリンソロ。コンマスがうまいうまい。ボリショイのオケ自体は、パリ管などに劣るが、さすが弾き慣れているのか、甘ったるい愛のアダジエットなんかをチャイコらし〜く弾くんだよな。聞きほれてしまった。
・おそらく、全体のバランスがとてもよかったので、監督が立派な人だったんだと思う。そういう目に見えない安心感が、実は舞台では一番重要なんだとつくづく思う。

久しぶりに「美」を見た、という感じだった。気分転換とか娯楽っていうんじゃなくて、なにかそれを養分にして、自分自身の美を作りたいという衝動にかられた。音楽やバレエはいつもそうだ。自分はこんなふうに肉体で自己表現することは不可能だから、なにか代わりに、絵を書いたり、文を書いたりしたいな、自分の美しい世界を作りたいな、と願わずにはいられない。魂にも、ときどき養分を与えないと、カラカラになっちゃうんだよね。ちゃんと育てれば、今からでもぐんぐん大きくなるのにね。

それにしてもイヤだったのは(と、またすぐイヤな話に戻ってしまう私)、誰かがクルクル回る度に拍手し始める観客。誰かが拍手始めるとみんなそれにつられて拍手する(日本人だから)。おかげで音楽や流れがブチ切れ。「いい?喬、サーカスじゃないんだから回るたんびに拍手しないの。幕の終わりと、ダンサーが会釈したときだけするのよ!」と周りに聞こえよがしに子供に忠告したのだが。あと、無意味にブラボーを叫ぶブラボーおじさんとかも、やね。田舎ものぉ!と思ってしまう。