ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 いるモノといらないモノ

やることは等比級数的に増えていくのに、気力は下降の一方だ。少し欝っぽい気分のときに引越しの準備はつらい。
さて、片付けていると、いろいろな不要物が発掘される。味噌溶き器、米とぎ棒、生肉解凍器(ただの金属のプレート)、回転式野菜水切り器、赤ん坊の鼻水吸い器、赤ん坊用のヌードルカッター、そば専用水切りザル、横川の釜飯の容器6個くらい(捨てられないのよね)、封切り専用カッター、テープ式修正液、「済」のハンコ3個、壊れたセロテープ各種10個ほど(1cm幅と1.5cm幅、メンディング用とはがせる系、両面系などなど)、キーホルダーとりまとめ用ホルダー、ウエスト調節用アジャスターセット、ガムテープ切り器(おい、手で切れよ!)、消せる蛍光ペン(消す必要がどこにある?)、ロール式付箋紙・・・いやいや、こんな無駄なものに囲まれて10年間生活してたんだなあ。いずれの物体も、買った時は、それが時間の節約になる便利なモノだと信じて疑わなかった。だが考えてみたら、いずれも他の物体で代用できるうえに(人間の手、普通のザル、普通のカッター・・・)、無駄に場所をとる。あるいは小さくて目に付かず、結局使われない。つくづく自分は馬鹿だと思う。そんなことを予測できず、何ひとつ学習せず、無駄に消費ばかりしてきたのだから。我が家は絶対にISO2000は取得できない。もったいないお化けが出る。
自分自身の行動形態を振り返って、いるモノといらないモノを冷静に取捨選択することができず、目先の「得」ですべてを判断してきたこれまでの人生を象徴しているかのようだ。せっかく狭いマンションに引っ越すのだから、最低限の必要なものだけ持って行きたいと思ったのだが、これだけはどうしても、というものは案外少ないことに気づいた。子どもがトイレに張った、「縄文時代の住居」みたいに、一つの壷と一つの御椀と一つのナイフさえあれば、すべてのことはまかなえるのかもしれない。結局のところ現代社会で作られ、売られる99%のモノは、企業側がひたすら差異化し、欲望をかきたて、消費者に過剰に消費させようとするモノなんだ。新生児用おむつのムーニーに「男の子用」と「女の子用」があるのは笑っちゃう。赤ん坊の体型に男女差はないのに、「女」だからといってわざわざピンクの花柄のついた割り増し価格(印刷費用とディズニーキャラクター使用料)のおむつを買わされる、母親たち。「女」だの「子ども」だのいう自意識も、それ自体に意味があるのではなくて、それによって人が細分化された消費に向かうから、社会が必要としているだけなんだ。思えばとくに女性は、ファッションや化粧品というまさに「余剰品」に金をはたくために存在しているなあ。「付加価値」というと聞こえがいいが、実際は使用者にとっての価値はゼロの「販売者価値」(=ボロ儲け)だ。
いや、いいんです、社会を批判するというより、今日は自分の愚かさを批判したい気分だ。ふう。もひとつ付け足すならば、がんなどの病気の原因になっているのは、きっとこうした「いらないモノ」たちだ。嗜好品とか、添加物とか、ぜいたく品とかね。で、病気で傷ついた心身を、再び癒し系・自然系商品という「いらないモノ」で癒し続けようとするわけだから・・・やっぱりこの構造はマッチポンプね。近代社会の永久連鎖。