ergo sum

健康ブログであるような、ないような

はてなダイアリーからの引越しにつきリニューアル模索中。

引き続きどうぞよろしくお願いします。

 4年の節目

あっという間に2月から3月にワープし、もうすぐ4月だという事実に怯えている毎日だ。3月下旬に引越しを予定しており、しかもそのあいまをぬって仕事が詰まっている。大丈夫なんだろうか。・・・もともとB型の私は片づけが苦手だ。ひとつの引き出しの整理を始めると徹底して2,3時間かけてしまうから、「全体をとりあえずきれいに」がまるでできない。そう、「とりあえず」というのができない、(悪い意味での)こだわりのB型なのだ。しかも疲れがたまっていると(or 年をとると)判断力が極端に落ちる。このセーターは洗うのか、捨てるのか、おいてくのか、もってくのか、そんなことを決めるのに、ぼーっとしてしまう。
先日バンクーバーオリンピックが終った。思えば、前回のトリノのときにちょうど私は診断を受け、手術をしたのだっけ。あのときは、生きようと必死になって、いろいろと本を読んだり、健康食品を食べたりしたものだが・・・そして、金メダルをとった荒川選手や村主選手たちの言葉のひとつひとつが、とてもまぶしく感じられた。努力に努力を重ねた、こういう輝くような生を送りたい、と思った。
ところがどうだ、今回のバンクーバーは。浅田やキムヨナのような外見上の幼女(実際はもう19才)や、安藤のような精神上の幼女から、およそためになるようなコメントや精神論が聞けるはずもなく。いずれもが国家のペットみたいに踊らされてるだけ。全然面白くない。あたかも今の私の、情熱を失って、再び妥協と甘えの日々に戻りそうな気分を象徴するかのようだ。
それにしても、浅田選手のことはみんなが「真央ちゃん」とちゃんづけで呼ぶのに、キムヨナのことは「キムヨナちゃん」とは呼ばない。自分のもの(自分の支配下にあるもの)でもなく、自分には及びもつかない秀でた能力をもつ者に対しては恐れの気持ちをもつからだ。いっそのこと、日本のアナウンサーが彼女に面と向かって言ってみろ、「ヨナちゃんはかわいいねえ、すきな食べ物は何かなぁ?ミッキーマウスは好きかなぁ?」。はったおされると思う。これってただの変質おやじじゃん。一方、自分より目下・年下で童顔の浅田であれば簡単に心の中でペット化できる。実際は赤の他人なのに、あたかも自分の支配下にあるかのように妄想し、盛りあがる構造・・・これはプロ野球なんかも同じだ。清原は駄目だ、とか、上原は今日は行けるとか(野球選手をよく知らないので名前はテキトーです)。すべて、支配幻想だと思う。だからスポーツはきらいだ。
そういえば今回は解説をしていた村主さんが、「かわいい」ということで妙なブームになっているそうだ。一線を退いたら、後は「かわいい」芸能人路線しかないのか(ちなみに伊藤みどりさんはかわいい路線にすら入れないわけね)?そんな人生を日本人は選手たちに期待するのか?カーリング選手もそう。試合中の真剣な表情はステキだったが、芸能界入りしたとたん、その顔に媚びた笑みが浮かぶのだろう。やだな。つくづく、人間や選手や能力者である前に、女は女として扱われている、と思う。