ergo sum

健康ブログであるような、ないような

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 ソリティア中毒

気がつくとソリティアにはまっていた。そういえばブログも二週間更新していない・・・しまった!ソリティアは一人でできるトランプゲームで、PCにも必ず内蔵されている。もともと凝り性のB型であるとはいえ、なぜこんなゲームにはまってしまったのか。格別面白いわけでも、なにか景品がもらえるわけでもないのに。時間の無駄、労力の無駄、いたずらに目と手を疲れさせるだけ。やることは山ほどある。それなのに私って・・・
プレイしながら考えた。このゲームは6割方が、最初の配札によって勝敗が決まる。「運」に作用されるゲームで、しかもPC上だと何度でもやり直しができるから、はまるのではないか。もし100%自分の思考力だけで決まるゲームであれば、自己責任なので、必死に考えて、努力を重ねるほかはない。ところが運に依存するゲームだと、「次こそはいい札がでるだろう」「今は運が悪かった、もう一度だけやろう」と、自分に都合のよい発想に入ってゆく。パチンコなどのギャンブルにはまる人間の気持ちがすこしわかった。
本来、自分の世界を切り開きたければ思考と努力に頼るほかはないのに、逆に、「運」の方こそコントロールできると人は思ってしまうのだ。「考える」のが面倒くさいから、「待つ」方が楽になってくるのだ。そして、都合よく「運」を相手にするということは、結局のところ、「ああくやしい」「次こそは」といった自分の主観とたわむれることにほかならない。思考停止状態の人間が賭け事に陥ってしまうからくりが、わかったような気がした。
そしておそらく、この現代社会では、国民の7割くらいが思考停止していて、DSやWIIといったゲームにのめりこみ、政治家の思いどうりの「消費するだけの動物」になっているんだろうなあ。
なにかの本で、ゲームであれ酒であれ「依存」するのは、背景に、「逃れたい大きい恐怖」があるからだと読んだことがある。私の「恐怖」はなんだろう。もちろん仕事や家庭にも問題がなくはないが、一番大きいのは、やっぱり病気再発や死の恐怖ではないだろうか。「あっち側」に行くのはほんとうに紙一重なのに、それを忘れて「普通」の生活をしたいと願う。それがこうした不必要なゲーム依存になってしまっているのではないだろうか。・・・と偉そうに分析してみても、相変わらずはまっている情けない状態であることに変わりはない。うーん、そろそろやめないと。