電車に乗っていたら婦人公論の広告が目に付いた。「男は女のここを見ている」特集。なんでいまごろこんな特集やるんかなぁ、と湿気と人ごみで疲労困憊しながら思った。中身を読んでいないが、どうせ「自分のことばかり考えるのではなくて、さりげなく気配りのできる女性が僕にとっては魅力的」なんていうしょうもないタレントのコメントが満載されているのだろうなぁ。そーかそーか、あんたたちはまだ女に奉仕させたいか。
見られんでもいい。あんたらに気に入られんでもいい。そんなこと気にして生きとうないわ。
女であるというだけで、なんで男に「見られ」、値踏みされなあかんのや。
そういうあんたらはなんや、太ってたりけむくじゃらやったり、とにかく醜いやんか。
自分の社会人としての振る舞いが衆目の監視下に置かれるので気をつけましょう、という論理ならわかるのだが。だが「男=見る」「女=見られる」の構造をいまさら刷り込む必要がなぜあるのだろうか。この、「いつも見られている」という自意識が、女を疲れさせる。そして見られることを通して、評価され、支配されてゆく。いやだなあ。
そういえば『女の品格』とかいう本も気持ち悪い。男に気に入られるためのマナー修得が女の品格なのかいな、って感じ。
ps.最近大阪弁の友人とよく話すせいか、だんだんうつってきた。
なかなか素敵な言語だと思う。